美・知との遭遇 美術教育見聞録 学び!と美術
エネルギーの源泉
「浦島太郎」のことについて少し触れたことがありました。今回は、その浦島太郎の話題から「生きる意欲」について考えてみたいと思います。
浦島伝説は、丹後の国(京都北部の日本海に面した地方)に伝わる龍宮伝説の一つとされています。日本書紀などにも原話と思われる記述があるようですから、相当古くから伝承されている昔話です。また、香川県三豊市や横浜市など、日本各地に関連した伝説があり、浦島太郎が使っていた釣り竿を保存しているお寺もあるようです。長い時間の伝承過程でその内容も変化し、私たちの知る浦島伝説ができてきたと思われます。小学校の教科書でも扱われたことがある日本の伽話として、もっとも広く知られた昔話の一つであることには間違いありません。
話の内容も諸説ありますが、一般的には亀を助けた浦島太郎が龍宮城に招待され、そこで3年ほど暮らし、浜にもどってみると700年(前回は、300年としてしまいました)の時が過ぎていました。そして、乙姫様から開けてはいけないと言われていた玉手箱を開けると老人になってしまったという内容です。近年の変わり種として、実は亀というのは空飛ぶ円盤で、光速で移動したため、円盤内と地上との時間経過に差が生じたのだというSF仕立ての話もあるようです。
ここで注目したいのは、すっかり変わり果てた故郷で、誰一人知るひとのいない時代にワープしてしまった浦島太郎の置かれた状況です。故郷の人口や生業の変化はさておき、浦島太郎は、「生きる意欲」をどこに求め、日々の生活を営もうとしたかというその後のことです。玉手箱を開けて老人になってしまったのですから、余命幾ばくもなく世を去ったと考えられますが、もし、玉手箱を開けなかったらという筋立てで考えてみたいと思います。
この現実は、圧倒的に人口増加した現代においての孤独と近似しているように思うのです。私たちは、しばらくご無沙汰している間にすっかり状況が変わってしまっていることを「浦島太郎」と言ったりしますから、変化の激しい社会では頻繁に起こっていることかもしれません。ただ、限りなく近接した住宅に暮らし、袖刷り合う以上の満員電車で通勤しているにもかかわらず、常に「隣の人は何する人ぞ」という現代社会の人間関係が、それとは別に慢性化した浦島太郎症候群を私たちにもたらしているのではないかということです。
浦島よりずっと近代になりますが、孤独をテーマとした有名な話に、ロビンソン・クルーソーの話があります。むしろこちらの方が孤独が主題かもしれません。孤独に過ぎる日々を1日毎に木の幹に刻みながら、今日は何日であるかを記すロビンソンの心境は、いつか故郷に帰るという希望のもとに「生きる意欲」を失わないでいるための手段の一つとしたのでしょう。自らが生きて帰ることを待つ人が彼の地にいて、生還を喜び迎える愛情が期待できるからこそ、生きようとする努力が途切れることなかったと考えられます。
ところが、浦島太郎の孤独は全くの別物です。村を探索するにも、通りがかりの人に道を尋ねるにも、現代なら「変なオジサン」です。彼が雨露をしのぐ場所を確保し、得意な漁などから日々の暮らしの糧を得られたとしても、その日を生きる以上に生きて活動しようとする意欲は、どこから生まれたのでしょう。
私たちが労働をしたり、表現をしたり、考えを伝えようとしたりする能動的な意欲は、それを受け止めようとする相手がいることによって成立します。自らの活動や向ける気持ちの相手がいることによって「生きる意欲」の源泉が枯れることなく行動エネルギーを生み出すと考えられるからです。もし、その自らの生かし方が見い出せないとしたら、私たちの活動意欲も社会的貢献意識も高まることはないでしょう。
現代の孤独と近似しているとは、そのような集団の中の孤独を私たちも感じているかもしれないということです。その成立している人間関係の核は、家族であることは言うまでもありません。その家族がエネルギーの源となっているとしても、私たちの労働や人間関係は、家族集団の外で機能し成就されて、成果を持ち帰ることに意味があることが多いのです。
これから家族を持とうとする若い世代が、「浦島太郎」を生きているとすれば、その生きにくさを思うとき、その後の浦島太郎の生き方がどれほど大変であったかを考えてみるに等しいと思われます。
表現しようとする行為や労働することの意味、そして学びの基本は、人間関係にあることを私たちは改めて考える必要がありそうです。競争原理に基づく学習意欲の活性や労働意欲の高揚は、そういった浦島太郎現象を人口の飽和状態にある社会の中に生み出していると言えるのではないでしょうか。