学び!とシネマ 一緒にシネタイム 子どもも、大人も。
赤い風船・白い馬(1956年、1953年・フランス)
何度観ても色あせない感動が
あなたの心に広がる、短編2作品
まだ小学生だったころ、母がデパートで買い物をすると、上に浮こうとする風船がもらえた。駄菓子屋で買った風船は、ふくらますことは出来るが、上に浮かない。デパートから地下鉄に乗って、家まで大事に持って帰った。少しずつ風船は小さくなり、上に浮いていかなくなった。悲しかった。持って帰る途中、割れたこともあった。泣いた。
そのころに、母と「赤い風船」という映画を見た。
街灯に引っかかっていた赤い風船を、少年が捕まえる。風船は宙に浮かんだまま、少年のあとをついてくる。不思議だった。まるで、生きているように、少年の後をついていく。そして、少年に近づいたり、ちょっと離れてみたり。悪い友達が、少年から風船を取ろうとする。取られないで、と願った。きっと、風船は取られるかもしれないが、これは映画だ、最後はきっと、いい結果になると思っていた。しかし、風船は、石をぶつけられ、友達が踏みつけて、割れてしまう。びっくりした。
だがしかし、町の中にある風船がひとつふたつ、たくさんの色とりどりの風船が、少年のところに駆け寄ってくるように、集まってくる。手を叩いた。
そんな記憶が、50年ほどになろうか、久しぶりに見た「赤い風船」(カフェグルーヴ、クレストインターナショナル配給)から、よみがえってきた。
36分の短編である。小学生のころの記憶の通りの映画であった。詩情、などという言葉では言い尽くせない、のんびりと、スリリング、少年と風船の、おたがいを思いやる心、愛おしむ思いが、ユーモアたっぷりに描かれている。手を離してもなぜ、風船が少年の周りにいるのか。少年の風船への思いが、通じたからに違いない。風船だって、心を持っている。街灯に引っかかっているのを助けてくれた少年に、感謝しているのだと思う。
思いやり、愛おしむ心を忘れないことを、「赤い風船」は伝えている。 「赤い風船」は、もう半世紀以上、52年ほど前の映画である。いまなお、これほど輝きのある映画を撮った作家はいない。アルベール・ラモリスという。
「白い馬」は、アルベール・ラモリスが「赤い風船」を作る3年ほど前に撮った映画で、これまた40分ほどの短編で、モノクロームである。「赤い風船」ほどの記憶はないが、馬どうしの、すさまじいリーダー争いのシーンが、印象に残っている。
南フランスのカマルグ。野生の馬の群れに、リーダー格の白い馬がいる。土地の牧童が、やっきになって、この白い馬を捕まえようとする。白い馬は必死で逃げるが、ついに、檻のなかに追い込まれてしまう。漁師の少年フォルコが、この様子を目撃する。
フォルコは、牧童たちの手から馬を守ろうと近寄るが、馬は、手綱を持ったファルコを引きずったまま、逃げ出してしまう。
湿地帯のなかを駈ける馬。しがみついたまま、手綱を離さないファルコ。やがて、馬は立ち止まり、ファルコに心を許したように見える。白い馬はファルコの家に連れていかれるが、そこに、牧童たちがやってくる…。
野生の馬どうし、馬と人間たちの関わりを描きながら、少年の歓びや哀しみが、はっとするような美しい映像で語られる。
夢のなか、少年が白い馬を連れて、海辺を歩くシーンがある。息を飲むような映像美。モノクロームだからこその美しさを感じる。
どちらの映画も、ゆったりとした気持ちで映像に身を任せていると、さまざまな感情が芽生えてくるはずである。どちらもラストは、必ずしもハッピーとは言えないが、何ともいえない幸福感を覚える。
「赤い風船」と「白い馬」は、ぼくにとって、人生でなにが大切かを考えるきっかけを作ってくれた映画であった。
●2008年7月26日(土)より、シネスイッチ銀座 ほか、全国ロードショー