教師の技量と一言でいっても,その職務は多岐にわたっていて,それぞれに必要とされる資質や技術は違ってくるといえる。このうちの一つである授業だけを考えてみても,いろいろなことが要求される。たとえば,その教科・科目に関する知識が豊富であること,あるいは,一時間の授業の組み立てができること,生徒の状況をきちんと把握できること,年間計画に基づいた進度で進められること,授業中に起こる出来事に適切に対処できること,などなど枚挙にいとまがない。 さらに,授業以外にも教員の仕事はさまざまで,学校行事の運営,生徒の生活指導や進路指導,考査の作成や評価,研修や研究会への参加,教室の管理や環境整備などなど息つく間もないほどの仕事量である。これらのさまざまな仕事について,なにもかもが完璧なスーパーティーチャーは,そうそう存在するものではないのは自明であろう。これらの仕事を全てそつなくこなすだけでも大変である。もともとの得手不得手は勿論あるだろうが,やはり,経験を積んでいくに従っていろいろな順調に仕事がこなせるというものである。 どこでこれらの技を盗むのか では,こういう経験はどのように積み重ねるかというと,毎年毎年,生徒を迎え新しいクラスで生徒と接して,また,新しい構成の分掌や教科のメンバーで仕事をこなして,そして,さまざまな年中行事での役割を担って過ごしていくうちに経験が磨かれていくものである。 さて,ここでコンピュータ教育において重きをなす授業においての実習について考えてみるとどうだろうか。もしも,一クラスの授業を一人の教師が担当していたとすれば,自らが設定した指導案に基づいて,実習を含んだ授業を展開し,生徒に取り組ませることになる。ここで問題なのは,授業をする教師が技量不足を感じていても,技を盗むべき場がないことである。逆に,とてつもなくすばらしい実習授業が行われていたとしても,その技を盗んでもらう機会にも恵まれていないことが多いのも問題だ。 しかしながら,現実問題としては,情報の授業は教師一人でこなしているのが一般的といえる。しかも,養成所よろしく何某センターで詰め込まれた知識だけで,きちんとした実習を組み立てろといわれるのだが,これは至難の業である。仕方なく,コンピュータネットワークを活用して情報共有を目指したりもしているのだが,やはり生で現物の授業を見ることにはかなわない。教科「情報」以前の情報処理教育の操作に偏重した実習は今は昔であるが,こと実習を行う体制だけは複数配当で教師が配置されることで,技の伝承が自然に行われていたという意味で評価すべきかもしれない。 上手に実習授業の技を盗めないでいると,そのうち取り返しがつかないことになりそうである。これは,誰かの目を盗んででもなんとかすべきことなのかもしれない。