ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.21 > p22〜p25

海外の情報教育の現場から
パキスタンにおける遠隔教育に向けた取り組み
山口大学教育学部 林 徳治
hayashi9@yamaguchi-u.ac.jp
1.はじめに

 筆者は,2003年3月18日〜同年5月3日の間パキスタン国立アラマ・イクバル公開大学(Allama Iqbal Open University,Islamabad:以下AIOUと略す)を訪れた。これは,国際協力事業団(現,国際協力機構:Japan International Cooperation Agency: JICA)の遠隔教育用マルチメディア教材開発プロジェクトによる技術移転を目的としたもので,筆者も短期派遣専門家として活動にあたった。任地での主な活動は,AIOUでのマルチメディア教材の調査・開発および現地スタッフを対象としたマルチメディア教材開発能力の向上をめざしたSD(staff development)研修の実施である。

2.通信制教育による学問の開放
 AIOUは,1974年にパキスタンの首都イスラマバードに創設された国立大学で,5学部からなる。開講されているコースは,全学部を通して1,000以上あり,学生数は通学制および通信制をあわせて3万人を超える。本学は,創設当初より通信制教育に力を入れ,厳格なイスラムという社会の中で女性やその他一般市民に対して学問の門戸を開いてきた。通信制教育の学生は,テキストやビデオ教材の他,テレビによる教育番組が提供されており,国内約900箇所に点在するStudy Centerで,非常勤の教員や視聴覚機器を通して学習することができる。

 1982年,AIOUではサイエンス学部にコンピュータ学科が新設された。現在コンピュータ学科の在学者数は約13,500人であり,各課程の内訳は1年制コースが1,200人,学士コースが12,000人,修士コースが256人である。本学科には,附属のMECDC(Multimedia Electronic Courseware Design Center)があり,テキストやビデオ教材に加え遠隔教育用マルチメディア教材の開発を行っている。MECDCは,2003年4月現在,既に36コースのマルチメディアCD教材を開発してきたが,さらに他コース用CD教材やWeb教材の開発にも着手した。なお,テキストなど印刷教材の配布,教育番組の編集や配信は,学内共同施設としてのIET(Information Edu-cational Technology)センターが主な役割を担っている。IETでは,遠隔教育の推進に向け日本からの無償資金供与による設備拡充が実施された。
3.マルチメディア教材開発の現状
 MECDCでの教材開発は,講師や助手など8人の専任スタッフで構成される。開発に関しては,基本的な機材が整備され,マルチメディア教材作成支援ソフト「Flash」(Macromedia社)を利用したデザイン設計,テキスト作成,ナレーション編集,動画・静止画編集が各部門で行われている。作成した教材はCD化され,ビデオテープ同様に受講者へ教材として配布される。現在開発されている教材の内容は,OS,WordやExcelなどアプリケーションソフトの利用,Javaなどプログラミング言語,データベースなど,主にコンピュータ学科の教科分野であった。

 マルチメディア教材開発の現状は,開発過程の視察およびスタッフへのインタビューを通して調査した。結果より,以下の3項目について述べる。

(1)教材の学習方法

 開発されたマルチメディアCD教材は,映像と音声を取り入れたもので,動作もスムーズであった。しかし学習形態は,説明・提示型で,教授側からの一方向的なものであった。例として,プログラム言語のJavaについて学習するCD教材の画面を図1と図2に示す。

図1 講師による学習概要の説明
▲図1 講師による学習概要の説明

図2 Javaの学習
▲図2 Javaの学習

 図に示した教材は,まず動画と音声により講師から学習について概要が述べられることから始まる。そして,Javaのデータ入力や処理の実行方法について動画と音声による説明を聞きながら学習者自身が確認をして自学するプロセスで構成されている。CD教材は,5分前後のユニット毎に学習できる仕組みになっており,内容的にはまとまりがある。しかし,各ユニットの学習が5分間連続して進む点,ナレーション(説明)が非常に速いことなどが改善点としてあげられた。特に初心者にとっては,専門的な知識獲得に加えて,実際のスキル(技能習得)が要求されるため理解度の点からみても問題がある。そのため,学習ユニットの過程で学習者自身が割り込んで働きかけ(action)ができたり,教授側の適切な補足説明などお返し(reaction)が可能な双方向性の自学自習用マルチメディア教材の設計が必要である。また,教材全般を通してCoffee Breakなどの休息がなく,学習者にとっては学習継続の上で情意面を考慮した設計の改善を要する。

(2)教材の開発過程

 マルチメディア教材の開発は,前述のとおりデザイン設計,テキスト作成,ナレーション編集,動画・静止画編集の4部門からなる。各部門が独立している結果,作業は個々のスタッフにより進められ,開発した教材のレイアウトなどデザインに統一性が見られなかった。図3は,教材のデザイン担当スタッフの作業風景である。

図3 教材開発(テキスト作成)
▲図3 教材開発(テキスト作成)

(3)教材の評価

 開発されたマルチメディア教材の評価は,現行では,学部長や一部の教授によるアンケートで実施されている。これは,学習者の立場に立った教育的な評価ではなく,学習者への配布用教材として許諾を得るための行政的な措置による色彩が強いように思われた。評価内容については,テクノロジー的なものが全面に表れ,映像や音声など教材の見栄えを意識した内容が大半を占めた。その反面,学習者の立場に立った操作性,学習効果への期待などの設問項目がなかった。特に,学習者の意欲や関心といった情意面での評価項目や内容は皆無であった。
4.学習者側に立った教材開発の取り組み
(1)教材開発のためのSD研修

 教材開発の改善については,MECDCのスタッフを対象に,教育工学的な見地(Plan-Do-See)より定期的にワークショップを開催した。ワークショップでは,既に開発されたマルチメディアCD教材を通して,文書量や表示方法,ナレーションの早さ,動画や写真の視覚効果について,学習者の視点より理解度(容易性),操作性,情報量,情意関心についてディスカッションを行った。結果より,教材一画面における情報過多,不要な音声や動画,長時間による一方向の情報伝達などが学習者への負担を増しているとの疑問があがった。

 これらを踏まえて,説明・提示による一方向の学習内容から次段階として相互作用に配慮した双方向性のある自学自習用マルチメディア教材の開発に取り組むことになった。また,マルチメディア教材の画面フォームを統一化して,学習者の視点から教材開発に取り組むことになった。

(2)教材開発の標準モデルの作成

 レイアウトやコースウェアに統一性が見られなかった開発過程では,教育工学的な側面からPlan(設計)-Do(実施)-See(評価)-Improvement(改善)の過程を徹底し,改善や見直しのためのフィードバックを重視した標準モデルを作成し実施した。これらの取り組みにより,今後質的に安定した効果的なマルチメディア教材開発に取り組むことが期待できる。

(3)評価方法および評価項目の改善

 教材の評価については,新たに評価シートを作成し,開発スタッフや特定の教員以外に,学習者を含めた相互評価を実施した。評価項目は,学習者の学習理解度や意欲・関心など情意面に配慮し,教育効果を調べることができるようにした。相互評価では,教材開発者と学習者間で意見の整合性を図ることにより,マルチメディア教材の改善について客観性を保つことができる。図4は,教材開発スタッフによる評価シート集計の様子である。

図4 スタッフによる評価シートの集計
▲図4 スタッフによる評価シートの集計

(4)Study Centerの視察・インタビュー

 筆者は,通信制教育の学生のために各地に設置されているStudy Centerのうちイスラマバード市内のセンターを視察し,コンピュータ設置利用状況や教員・学生からのマルチメディア教材に関する意見や要望についてインタビューによる調査を行った。訪問したStudy Centerでは,学習用コンピュータが15台設置されており,インターネットも整備されていた。

 教員・学生ともに,今後配布されるマルチメディアCD教材には非常に強い関心を示しており,従来のテキストやビデオ教材を補填する教材として期待していた。その他,CD教材の有用な点として,Study Centerをはじめ自宅や市内のインターネットカフェでも利用できること,ビデオ教材とは異なり学習者側から応答することにより自学自習ができることをあげていた。
5.今後の課題

①マルチメディア教材のデータベース構築
 現在,開発されたマルチメディア教材は,一括した管理や整理がされていない。今後教材のデータベース化により,効果的な管理やCD教材の配布,Webによる配信が期待できる。そのため,データベース構築用サーバコンピュータが必要である。

②マルチメディア教材作成の機器強化
 開発されたマルチメディアCD教材は,今後学生に配布されることになる。現在,CDの複製装置が1台あるが,多数の学生に配布するためにはさらに必要である。また,今後普及が見込まれるCD教材の作成のために,CDの書き込みおよび読み取り機能をもつ機器の強化が必要である。

③遠隔授業(TV会議)に向けた環境整備
 教材の開発過程で重要な役割を担うMECDCの設備充実が必要である。MECDCは,現在マルチメディア教材の開発,CD教材の配布を主として行っている。Web教材の開発・配信やTV会議システムを利用したStudy Centerとの遠隔授業の実施も今後の教育の質的改善に貢献するものであり,そのための環境整備は重要である。

④インターネットや電話回線の基盤改善
 学習者に配布する教材は,現在TVによる教育番組,教科書,ビデオテープが主であるが,今後はマルチメディアCD教材に加え,Webでの教材配信がスムーズに実施できるようインターネットの基盤整備が必要である。現状のインターネット環境では,大学内ですらアクセスできる時間帯が1日2時間と制限され,さらに通信速度64Kのダイアルアップ接続であるため,開発・試行・配信上で支障が生じている。今後,インターネットに関するインフラ整備が重要な課題である。

⑤教育分野の専門家派遣による人的支援
 マルチメディア教材の作成技術は,活動全般を通して概ね良好であった。今後は,教育効果を調査するため学習者の立場に立った評価内容・方法の確立やスタッフの教授技術の訓練を強化していくSD研修の実施が求められる。そして,これらの実現に向けて教育分野の専門家派遣が必要である。

⑥大学間学術交流の遠隔教育の実施
 筆者は,今回の派遣を機会に,勤務する山口大学におけるWeb教材,衛星通信やTV会議システムを利用した遠隔授業の事例を紹介した。今後,山口大学とAIOU間での遠隔教育についても実現に向けた取り組みがなされる。Web教材,衛星通信やIP電話によるTV会議システムなどの遠隔授業は,AIOUにおいて初めての取り組みとなる。授業の設計・実施・評価は,効果的な遠隔授業に向けてきわめて重要な要因となる。遠隔教育プロジェクト案は,双方の大学の学術交流を通し国際理解や国際協力の面で有益な取り組みとして貢献することが期待される。

 今後,国際協力に関心ある諸氏への参加協力を期待してやまない。

[参考]情報教養研究会:「パキスタンにおける国際協力の活動」(http://www.ica-j.org/pakistan.html

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