ロシアというと,「恐ろしい」,「何を考えているかわからない人々の国」というイメージを持つ人が多いことでしょう。私も以前は同様でした。最初に下見に出かける前,不安を感じていたのは事実です。しかし,その先入観はものの見事に打ち砕かれました。これほど純粋で暖かいハートを持った人々がいるのか,という感動を覚えたくらいです。私の勤めている青山学院高等部では,1998年より,ロシア・サンクトペテルブルグ第83中等学校との具体的な交流が開始され,この5年あまりの間にこちらから3回訪問し,反対に向こうから2回訪問を受けました。その経験を通して学んだことがらを,ここでは紹介させて頂きたいと思います。
ロシア・サンクトペテルブルグ第83中等学校(以下83校)では,1993年に日本語教育特別課程が設置され,カリーニナ・ヴァレンティーナ・アレクサンドローヴナ先生が日本語課程担当の副校長に就任し,熱心な日本語教育が始まりました。ロシアの学校では,校歌というものが決められていませんが,カリーニナ先生は,故・濱口庫之助作詞・作曲の「バラが咲いた」を日本語課程の校歌と決め,生徒たちにこの歌を教え始めました。このためバラの学校とも呼ばれています。この濱口庫之助氏が青山学院の卒業生で,現理事長の友人であったことから,青山学院との交流が始まりました。当初は初等部児童との文通という形で交流が始められたのですが,1996年カリーニナ先生の来日をきっかけにホームステイの可能性が検討され始めました。1998年3月,私を含む2名の教員が現地に赴き,実地調査・打ち合わせが行われました。具体的日程,受け入れ家庭との責任分担,経費の問題,病気・事故などの対応について協議がなされ,その年の夏,7月末に第1回ロシア・サンクトペテルブルグホームステイが,参加生徒12名,引率教員2名で実施されました。その成功により,翌1999年7月に第2回目が同じ規模で実施されました。2000年5月には,青山学院の招待でカリーニナ副校長と生徒3名が来日し,第1回 ・第2回ホームステイ参加者の家庭にホームステイしました。2001年7月には第3回ホームステイが実施され生徒9名引率教員2名が現地に赴きました。そして2002年は2回目の引き受けを行い,カリニーナ先生と3名の生徒が来日しました。私は,こちらから行くホームステイの引率2回と引き受け2回を担当しました。