ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.8

巻頭言
 
香川大学工学部信頼性情報システム工学科教授 山崎敏範

 大学の開放講座で,パソコン教室を引き受けた。「パソコン超初心者入門」として募集したところ,65歳以上の方々が50名以上も応募してきた。パソコンを触るのは初めての方々がほとんどで,初日は電源投入からログインすることで費やしてしまった。矢継ぎ早に手があがり質問づめになる。キーボードを触るのも初めてで,自分の名前,パスワード入力も大変な作業になる。パスワード入力が成功して初期画面が表れるだけで一仕事すんだ気分になる。とても一人の講師では対応できない。急遽,学生の手助けを頼んだ。初日が終了したときには,ぐったり疲れ,引き続く講習会が思いやられた。

  2日目も「先生,ここで何をしたらええんかいな?」「パスワード忘れてしもうた。」「わしのパソコン壊れとる。」などなどの質問に追われつづける。とはいえ,一仕事を終えた親ほどの年かさの方々が,一心不乱にパソコンと格闘する姿に接しているうちに,親しみを覚えた。質問に答えながら,パソコンで何をしたいのかを聞いてみる。「孫にメールを送りたい。」「インターネットを見たい。」から「自分史をパソコンで。」「身辺記録を綴りたい。」などなど,動機は多様である。いつまでもログインに留まってはいられない。自分の周辺雑記などをワープロで自由に作成することにした。ひらがな入力,漢字変換をするたびに驚きの声があがる。一文字のバックスペース削除は,難しいものらしい。キーを押しすぎて,あっというまに5〜6文字を消去してしまう。それでも,まとまった文章を作成した方々も出始めた。パソコン教室に通う道すがらに思い出した亡き母の思い出や,姑との確執を淡々と綴る文章を垣間見ながら,年輪を重ねた人生の達人に感じ入った。「先生,何歳な?わしは大正10年生まれや。」といった老人は,最後までログインも満足にできなかった。「先生,私ら,こんなもん創ってます。これ読んでみていた。」と渡された,この老人からの贈り物,自分史同好会誌は,殊のほか面白かった。

  慣れきった大学の講義では味わえない新鮮さはあった。前向きに真剣に取り組む姿には感動さえも覚えた。一方,パソコンに四苦八苦する受講者を見ながら,こんな講座でいいのだろうかと自問自答した。IT社会が送り出す膨大な量の情報を読み,利用するのは簡単ではない。仕事や私生活で,これらの情報を検索,理解しながら利用するためには時間も結構かかる。一仕事も終え,気ままに余生を送ろうとする世代にとって,不慣れなパソコンを使い切ることが人生を豊かにするのだろうか?自由な時間が削られ,豊かな人生の中身がやせ細ることにはならないのだろうか?

  20年前にもパソコンへの疑念に類する感想を懐いた。義務教育教員を対象にするパソコン教室を数年続けた頃である。当時のパソコンは,ワープロ機能やグラフィックスが自由に使える代物ではなかった。成績処理プログラムを作成,試用した時の煩雑な手間にくたびれ果てた事を思い出す。いつになったら実用的なパソコンになるのだろうかと痛感した。ところが,今では状況も一変している。今後も,情報通信技術は,誰でもが自由に使えるコンピュータを生み出していくことでしょう。情報教育は,今では国民の文化リテラシーとして欠かすことはできない。新しい情報科目に寄せる期待や与えられた課題と責任は,全国民的課題ともなっている。

  20年後に実施するパソコン超初心者入門コースでは,どんなことをやるのでしょうか。

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