最近のインターネット利用の量的拡大は,もちろん望ましい方向である。しかし,実際に利用できるようになって,子どもたちの学習にどのようなメリットがもたらされたかというと,決して楽観視ばかりはできない。 実験的なインターネット利用として有名な「こねっとプラン」の参加校に対して,1998年に実施されたアンケートがある。「児童生徒の変化」という項目への回答を見ると,「パソコン等に関するスキルが向上した(61%:数字はその項目をあげた学校数の比率。以下同様)」と「多くの情報を簡単に入手できるようになった(56%)」は比較的高いが,これはいわば当たり前の結果である。「学習に対する意欲が向上した(25%)」となると,だいぶ低くなる。さらに,「情報の取捨選択ができるようになった(17%)」,「入手した情報から自分の意見を作れる(9%)」,「他の生徒と議論が活発化する(4%)」となると,がぜん低くなってしまうのである。 コンピュータが入れば,とにかくさわるようになるから操作には慣れる。もの珍しさもあって,ただ聞いているだけの授業より,満足感も高まるし意欲も出てくる。しかし,学習そのものの質が上がり,子どもたちが望ましい力をつけるようになるかどうかは,また別の問題であることをあらためて考えさせる結果といえそうである。 インターネットを使うことによって,学習がどのように変わっていくかは,インターネットそのものやそこにあるコンテンツで必然的に決まるわけではない。どのような課題状況の中でインターネットを利用するかということや,利用に伴う操作法以外の学習スキルの支援にかかっている。たとえば,総合的学習で「エネルギー問題」をテーマにするとすれば,単に知識を得ることだけを目標にするのではなく,自分の主張を明確にすることも大切にしたい。すると,賛否両論の検討,論旨の組み立て,わかりやすい発表の仕方,批判に対する反論の仕方などが,活動目標として入ってくる。また,これらが得意でない子どもたちに指導・援助を行うことも必要になってくる。 とくに望まれるのは,インターネットを使った学習活動や交流活動が,学校での他の活動とも結びついて相乗的な効果を生むということであろう。たとえば国語の学習は,ネット上での情報を読み取ったり,こちらから発信するとき表現と結びつくはずである。理科の時間に習った知識が情報を理解するのに役立つことがわかるとか,社会科や特別活動の中から発したテーマで交流が広がるというようなことになるといい。「勉強はテストのためにするもの」という学習観から,「生きてはたらく知識を獲得するもの」という学習観への転換をはかるには,それなりの場の設定が必要だが,インターネットはそうした場をつくる絶好のツールになりうる。 インターネット自体は,操作面だけの問題であれば,大人になってからでもすぐに使えるようになる。どれだけ多くの子どもたちがインターネットを使えるようになったかという量的な普及から,子どもたちの学習がどのように変化し,それがその後の学習をどのように促進するかという質的な問題を重要視する時期にいよいよさしかかってきた。インターネット先進校の経験を寄せ合うことによって,今後の本格的な普及までに,どのように学習の質を高められるかという指針やヒントが充実することが望まれる。そのための実践の紹介や議論の場として本誌には大いに期待したい。