電脳空間で豊かにそれ自身がみずから生きつづける魅力的な情報生命体とは,どのようなものであろうか? 2000年以降のデジタル・メディア時代の中での情報の魅力と可能性について考えてみようと思う。 電脳空間の中での情報を,遺伝子のような人工生命体の集合体として想定してみる。それは,それ自身が新陳代謝して動めかなければならないかもしれない。 アートとしての電脳空間の中に生息する情報生命体がエコロジカルな関係にあるとき,作品はますます面白くなる。 情報生命体群が,発生・成長・進化する上で,エコロジカルな相互関係にある空間はどのように生成したらよいのであろうか? 各単体生物が,お互いに食う・食われるの補喰関係の中で行きのびていくことが重要である。放っておいても,彼ら自身がそれぞれの情報関係の中で自分自身の発生・成長・進化,そして死滅を決めさせることである。 情報で満たされた電脳空間において,前もって作品の細部の未来形を予測できないほどに,カタストロフィックな激変を起こさせようと思う。電脳空間は予測できない方が面白い。仮説情報としてあり得るかもしれないが,説明しにくいものを,自然物に対応する人工物の立場から形象化していくことで実証していこうと思う。 新次元としては,ミクロスケールから地球的スケール,惑星・銀河的スケールに中で,過去に起こったかもしれない,あるいはこれから起こるかもしれない事象を電脳空間の中に生起させていくことである。情報による仮説形成学の考えはそこにある。 仮説形成とは,言葉で説明できないもの,論文化できにくいものを,視覚的に自己創出する映像で示していくしかないからである。アートとしての電脳空間が予測できるとき,瞬時のインタクションの反応のみでは,やがて人に飽きられるかもしれない。なかなか飽きられにくいということは,それだけ予測できない,仮説としての未知数を多く内包していることである。 情報で満たされた多層構造体としての空間を想定してみる。電脳空間内で各情報生命体が,それ自身の時間軸と空間軸をもっていると考えてみることである。それぞれの自転と公転の集合体が,さらに全体の大集団を形成しながら時間のベクトルを次々と生成していく循環構造を想定していく。情報の大きな時間の流れは,個々の時間の流れの相互連関の組み合わさった多層構造体で形成される。通常,放っておいても,個々の時間の流れは独自に進行していくことである。 電脳空間の中に生息する情報生命体群を,いくつものアルゴリズムを内包する新素材で構成されたもうひとつの生命体として考える。情報の構成要素が細胞のようにからみあい,連絡しあう。基本構造は,メカニックなジョイント部や各部位が介在していても,自己組織化できる方向へもっていく。全体の中の一部に故障がおきても,その箇所を発見し,自己修復機能をもたせることである。彼ら自身の交差,突然変異を含みながら,彼ら自身の未来型が決められていくと,電脳空間が活性化していくような気がしてくる。電脳空間では仮想の情報生命体が生息するのは可能だからである。 芸術としての情報生命体の発想が電脳空間を豊かに,遺伝子的に面白いものにしていくような気がしてならない。多様性に富んだ濃密な電脳空間は,芸術の側からの種々の刺激を得ることで,より可能性が高まるにちがいない。