ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.34 > p18〜p21

海外の情報教育の現場から
フィンランド教育視察報告
松戸市立松戸高等学校 福島 毅
xr2t-fksm@asahi-net.or.jp
1.フィンランド視察の動機
 フィンランドは完全週休2日制であり,夏休みも日本より長い。進学塾のようなものもない。学習教材の種類や量でも日本の方が圧倒的に多い。それでもなおかつフィンランドは国際学力調査でここ数年首位をキープしている。この秘密はいったいどこにあるのだろう?実際にこの目で見るフィンランドは,文献などで報告されているものとどこがどう違うのか,または同じなのか,自分の中ではそれを確かめる旅であった。
 本稿では,視察してきた事項を羅列的に述べることは避け,日本にとっての課題解決のヒントとなろう一部の事項とICT教育の現状をピックアップして紹介し,最後に日本の教育へのささやかな提案を試みたいと思う。今回の視察で訪れたフィンランドとデンマークの詳細なレポートについては,私のブログ「教育のとびら」に掲載しているので,興味ある方はご覧いただきたい。
2.教育カリキュラムと実情
(1)就学前教育制度
 小学校入学前に,1年間の就学前教育制度がある。この就学前教育では,小学校での基本生活に関する訓練を徹底して行う。例えば,身支度や整理整頓,人が話している時には発言を妨げずにきちんと向き合って聴くといった躾も行われる。就学前教育は小学校に隣接した教室で行われることも多く,小学校の先生との細かな連絡・調整を意識している。フィンランドの幼児教育プログラムは,小学校からの教育にいかにスムーズに移行できるかを目指しているのである。
 日本では,同じ時間帯を漠然と遊戯をして過ごすか,あるいは有名私立小学校受験の対策に費やしている。現在,小学校での学級崩壊が深刻な問題になっていることを考えると,「小学校に入る前の必要な準備」を意識した就学前教育制度はおおいに注目すべきことと感じた。

(2)必要に応じて留年がある
 「留年」という響きは日本では悪く偏見がある。しかし,フィンランドでは義務教育にも普通に留年が存在し,世間的にも生徒本人にとっても不名誉なものとは受け取られていないようである。人より多少長く習得に時間がかかることがあったとしても,それが長期的には本人のためであるという共通理解のもと,留年して余分に勉強する生徒が存在する。そしてもちろん,これらの生徒に対して手厚い学習指導が行われるのである。

(3)達成度確認テスト
 科目ごとに全国共通の達成度確認テストがある。しかし,このテストが日本のように学校のランク付けや進学先の選択資料に使われることはない。もちろん,他の学校と比べ著しく学習効果があがっていない科目があれば,教育委員会あるいは学校長がその調整に動くことはあるようである。特に校長は,テストの結果を教師の教育活動がうまくいっているかどうかを計るバロメーターとして受け止めていた。

(4)大学における高度な教員研修
 フィンランドの教師は大学院出身者で占められる。また,教師になった後も大学を中心に研修が行われており,積極的に参加する教師も多いという。今回の視察で質疑応答に答えていただいた教師はいずれも自己の明確な長期的教育目標や短期的な戦略を持っており,それを必ず語っていた。現職教員になった後の大学でのフォローアップのプログラムについては詳細を聴く機会がなかったが,興味深いところである。

(5)フレキシビリティ(柔軟性)
 これは通訳の日本人の方が繰り返し指摘していた点であるが,フィンランドは非常にフレキシビリティのある国ということだった。例えば,人口増により新設学校が必要ならば,どこかの施設を借りてもとりあえず開校する。運動場がないために体育の授業ができなければ,放課後の社会教育に組み込んで別の会場を確保してやってしまうなど,改革・変革に柔軟で適応力がある。
 政策が間違っていたり無駄があったりすれば,それは速やかに変えてしまう。例えば,かつては政府が教育視察の委員を派遣する制度があったが,現在はなくなっている。政府によれば,それは当初必要があると判断されて行ってみたものの,実際に行ってみれば不必要なことがわかったので数年経ずして方針を転換したとのことである。
 教育の方向性や大枠は政府が決定し,自治体や学校現場はフレキシブルに考えて実行していく。しかし,その方向性がバラバラということはない。例えば,全国統一の試験が生徒の教育にとって必要と判断されれば,教育現場は一丸となって粛々とそれを行っていくのである。

(6)学校経営者としての管理職の素質
 小学校校長からトータルで2時間ほど話を伺う時間があった。校長は日本の学校と比較して大きな権限を持つ。人事については新聞などで公的に教員の募集をかけ,採用についても自ら書類審査・面接をして決定していく。学校予算に関する事務処理も校長が直接携わるようであるので,その多忙さは想像して余りあるが,それだけにやりがいがある仕事ということだった。
 日本の公立学校のように校長が3年程度の短期間で交代することはない。赴任から定年まで同一学校長を勤めあげる例も珍しくないそうである。従って自ずと地域との関係を重視し,地域に責任を持つ学校が育っていくのであろう。

(7)将来の政策決定者としての生徒
 フィンランドでは地方議会は,職業人としての議員が行っているのではなく,選挙により選ばれた一般市民によって運営されている。従って議会は夕方から夜に開かれたりする。
 在校生徒が新しく運動できる運動場の必要を感じているとすると,その必要性を学校の生徒会でまとめあげ,意見を行政に反映することができる。そして,設計や建設などにおいても部分的に生徒が手伝いをしたりする。大人もそういった子供の参加が欠かせないと考えているようで,わざわざ機会を与えている。
 早くから政策決定に参加させることで,「現実社会への貢献」を実感できるシステムになっているようである。

(8)ゆるぎない国語力の重視姿勢
 日本には阿吽の呼吸という文化があり,これはこれで良い点も認めたい。しかし,社会のグローバル化に対応して,いかに他者の考えを理解するか,そしていかに自分の考えを他者に伝えていくかがとても重要な時代になってきていることは言うまでもない事実である。
 フィンランドでは,国語力はすべての教科の基本という考え方が浸透している。例えば,数学でも文章を読み,出題者の意図をきちんと読み取る能力が重視される(数学は試験も含め電卓や公式集の持ち込みが可である)。そして,問題に答える場合も,理路整然と作文しながら解答を練り上げていく能力が要求される。文章を読み取り相手の主張や論理構成を理解していくこと,そして自分の考えを相手や状況に応じて合理的・効率的に伝える技術は学習の要という考えである。最近は,文章だけではなく,ポスターや絵など,テキスト以外のメディアの解釈についても国語で扱っているそうである。この点は,日本の教科「情報」のメディアリテラシー教育に通じるところがある。
 そして特筆すべきは,フィンランドの文化ともいうべき,幼少の頃からの圧倒的な読書量である。クリスマスのプレゼント交換なども圧倒的に本が多く,公立図書館の利用率も高く,車による移動図書館も田舎のすみずみまで来る。国民全体に読書習慣が定着しているのだ。個人的には,この読書量とフィンランドの高学力には高い相関があると考えている。

読書の中の子供達(クオパヌンミ小学校)
▲読書の中の子供達(クオパヌンミ小学校)
3.ICT教育の現状
 ICT教育の現状についても少し触れておく。今回の視察では,フィンランドの小中高校の現場視察を目的としているので,ICTに的を絞った見学は企画されていなかった。
 現場を知る唯一のチャンスとして,クオパヌンミ中学校での見学の際,コンピュータの授業担当者へインタビューする機会があった。担当の教師は当学校で週5時間の授業に加え,別の小学校1〜6年生の授業も受け持っている。校内LAN含め,コンピュータ全般の管理も行っているということだった(以下,視察団の教員からの質疑応答に対する担当者の回答)。
 「小学校(6年生まで)では,基本的にコンピュータ(情報)に特化した授業は行っていない。国語の中でコンピュータを扱うことはあるが,基本的には手で書くことを重視している。中学校では,選択において『コンピュータの使い方』の授業がある。コンピュータのメンテナンスは学校外部に1人いる。コンピュータを使った授業をコーディネートする専門職はいない。小学校においては,担当教師の裁量でついでに教える形をとっているので,教師の技量によって多少ばらつきがある。
 9年生になるとプログラミング言語(BASIC),ワープロの使用,Webコンテンツ作成,セキュリティ,ビデオ制作などの学習が選択生徒に対して行われる。現在は希望する人数に教えることができている。希望は男子が多い。授業ではOpenOfficeなど無料で入手できるソフトを使っている。フィンランドの情報モラルについては,学校側がその実体を調べているわけではないのでよくわからない。なお,学校の指導として,授業中のオンラインゲームは禁止している。」(以上,インタビューより)
 短いインタビューで垣間見えたのは,生徒にとって必要とされていること,教育内容が現場教師の裁量・力量にかなり左右されることなどである。この点は日本の現状とよく似ていた。コンピュータ室のレイアウトは横並びのきっちりしたものであったので,グループのディスカッションなどプロセス重視の授業展開というよりは個人技・スキルに関連したものであることが想像された。
 日本では掲示板やメールによるトラブルが後たたない。これらに類似する問題はフィンランドではあるのかないのか,あるとしたらどう扱われているのか,このことについてももっと質疑する時間が欲しかったところである。

廊下にPC(クオパヌンミ小学校) 授業で必要があると,このスペースで生徒が利用する。
▲廊下にPC(クオパヌンミ小学校) 授業で必要があると,このスペースで生徒が利用する。
4.日本でできること
 フィンランドの教育には見習うべき点が多々あるが,文化背景や習慣の違う日本の教育に100%移植することは困難であり,効果的ではないだろう。ここでは紙面の都合上,2点について触れておくことにする。

(1)教員の質の向上や予算の確保
 日本の場合,教育活動が「なんとなくうまくいっている,いない」ということが多いが,どういう方法論による授業展開や学習指導を行うとどのように成果があげられるのかを理論・実践面からもっと研究すべきであろう。そして,こういった事例やノウハウが経験知として取りだせる,あるいは研修として利用できるような仕組みが必要であろう。
 そう考えると,教員養成をする大学の役割,あるいは地方自治体の持つ教育センターの役割は大きい。質の高い研修プログラムを提供し,現場の教師をスーパーバイズする専門のプロが必要となってくると思う。

(2)生徒に自己肯定感・達成感をつくること
 フィンランドでは,頻繁な試験などにより自己の学習到達度が常にフィードバックされるようなシステムができている。
 私は,学習者本人が,どこでつまづいていて,どこがどうできていないのか,あるいは学習によってどのようにできるようになったのかをもっとスモールステップに分けて客観的にわかる仕組みが必要だと感じている。例えば,スモールステップの学習段階が設定されたプリント教材などが用意され,学習者がそれをクリアしていったり,適切な個人指導が行われることで,基礎の穴を埋めることが可能となり,ステップを上がったという達成感を得ることができるだろう。
 さらに日本の場合,教員が「どこが足りないか」を数え上げるようなネガティブな指摘が多すぎるように思う。今の日本の教育に足りない部分とは,「努力して勉強してみたらできるようになった。わかるようになった。嬉しい。」といった生徒にとっての自己肯定感,自分に対する自信,正のフィードバックではないだろうか?
 何ができるようになったかを積極的に評価する姿勢を我々教師あるいは親が持ち,生徒に自己肯定感を持たせ,意欲的な学習につなげる必要がある。フィンランドの教育現場を見て,「成功へのプロセスを確実に踏ませる実感をまずは生徒に与えなくてはいけない」という感を一層強くした。
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