ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.14 > p24

コンピュータ教育のバグ
インターネットばかり見ていると
−発信なくして,進化なし−

 ROMという言葉をご存知だろうか。「コンピュータハードウエアの記憶装置内で,書き換え不可能なリードオンリーメモリーのこと」という方は,そこそこコンピュータに関する知識をお持ちではないだろうか。あるいは,「インターネットの会議室や掲示板で,書き込みをしないで読んでばかりいるリードオンリーメンバーのこと」とおっしゃる方は,インターネットにある程度精通しておられるのでしょう。後者の解釈は,おそらく前者のリードオンリーメモリーを,もじったものではないかと推測されますが,書き込まないという共通点があるからでしょうか。

黙って静かに聴きなさい
 高度情報化社会だの,ワールドワイドなネットワークだのと,情報処理ツールとしてのコンピュータ利用がもてはやされている昨今ではある。ではあるが,そのもてはやされ方も,実際の利用のされ方も,なんとなく日本的な堅さというか,閉塞性のようなものがあるように思う。具体的には,コンピュータの利用方法が,多くの場合,交流や発信を第一目的にしていないということである。つまり,情報の収集や加工に精を出すためのツールとしてのみ使われているケースが,とても多いということである。これは,日本の学校教育全般に通じるところがあるように思う。

 従来から,学校教育では,いろいろな情報を子供たちに与え,それを蓄積させ,あるいは何らかの加工をさせるというパターンが一般的である。情報を発信するというプロセスは,あまり含まれていない場合が多く,仮に含まれていても,それがメインになっているものは少ない。発信といえば,せいぜい出来上がった作品を教室の後ろに展示するか,良くできる子が推論した意見を述べる程度のもので,情報を発信するテクニックを教えるために,わざわざ多くの時間を割くことはありえない。であるから,こういう学校教育をまっとうに修了してきた人間というのは,聴く態度だとか,情報受信の能力については,とてもよく身についている。人の話を聴くときは,それがどんなにつまらなくて退屈でも,きちんと姿勢を正してすわっているべきだという感覚が身に染みついているのである。一方の先生や講師といった話をする側は,人の話はちゃんと聴くもんだという既成概念があるので,もし,話をちゃんと聴いてもらえなければ,それは聴く人の態度が悪いということで落着させてしまっている。
静かに聴いているだけではねぇ
 ところが,これだけインターネットが普及してくると,好むと好まざるとに拘わらず,情報を発信しなければならない場面に出くわすことがより多くなる。例えばインターネットで情報の受信だけしかしていないとすれば,それはせっかくの情報ネットワークを充分に活用しているとは言い難い。ギヴアンドテイクという原則があるはずである。より有効でレアな情報を得ようと思えば,自分も情報発信をしなければならない。自分の発信した情報が有効であればまた,必ずフィードバックもあるはずだからである。

 残念ながら,学校の現場の現状は,まだまだコンピュータ教育の黎明期を抜けきっていないのか,どうしてもインターネットを利用して情報を収集し,それを加工して,ペタっと貼り出すだけに留まっていることが多い。インターネットをただ単に見て回って情報を拾ってくるだけではなく,どんどん情報を発信していく活動も授業に盛り込んでいきたいものである。
前へ    
目次に戻る
上に戻る