ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.14 > p1〜p5

論説
情報教育における携帯電話の利用について
関西大学総合情報学部助教授 岡田 朋之
okada@res.kutc.kansai-u.ac.jp
1.ケータイをとりまく内外の状況

 1990年代後半から急速に普及した携帯電話やPHSなどの移動体メディアは,いまや対人口普及率では6割を超え,若者の間ではそのほとんどが所持するに至った。実際,昨年関東と関西の大学生を対象に私たちがおこなった調査では,実に98%が携帯電話やPHSを持っていた。大阪府下の高校生を対象にした調査でも,83.8%が持っていると回答があったという。

 また,これらの端末は単に持ち歩くことのできる電話という機能を越えて,インターネットでのメールのやりとり,ホームページ閲覧から,音楽の再生,デジタルカメラを内蔵しての写真のやりとりなどといった,マルチメディア・ネットワークの端末として受け入れられているのである。最近では「携帯電話」というよりも「ケータイ」とよぶ方が通りがよいのは,そうした状況を端的に体現しているからとは言えまいか。

 しかし,このように新しいメディア環境が形成されていく一方で,高校や大学などにおける情報関連科目の教育の場においては,「ケータイ」が適切に取りあげられてきたとは言えない。さらには高校などで学校への持ち込みを禁止するなど,どちらかといえば教育の場から排除する傾向の方が一般的でさえあった。たしかに授業中の通話やメールの使用,あるいは着信音が突然鳴ることで授業運営が阻害されたり,学生・生徒が授業に集中できないといった問題が浮かび上がっているなかでは,管理上やむを得ないことなのかもしれない。

 とはいえ,学校からケータイを排除することによって,生徒たちの日常生活と学校での情報教育との間に断絶が深まる可能性は否定できない。そうこうしている間にも,社会のさまざまな局面にケータイが浸透しつつあるというのは厳然とした事実である。

 また同時に,ケータイの急速な普及は世界的な傾向であるという点も,認識しておかなければなるまい。「iモード」などのサービスで世界に先駆けてケータイの端末によるインターネット接続サービスを展開したり,第三世代の携帯電話を早々に開始したりと,とかく日本はこの分野で先頭を走っているように思われがちだ。それゆえ,普及の度合いも世界的にはトップクラスと誤解されがちであるが,日本の普及率はEU加盟の諸国や,韓国,シンガポール,台湾,香港などの国や地域に比べてもずっと低い値になっている(図1)。逆にいえば,サービスが高度であるかどうかは別として,ある程度経済的な発展を遂げた国や地域においては,ケータイが普及するのはごく当然のことである,という考え方をとるほうがむしろ自然なのだといえよう。すなわち,ケータイの普及が進んでいく状況は,ある種抗しがたい流れであり,その中では新しいメディアを隔離したり排除したりすることよりも,私たちがメディアとどのような関係性をとりうるかということを考えていかなければならないのである。

主な国・地域別による携帯電話の普及率 (2000年)
▲図1 主な国・地域別による携帯電話の普及率 (2000年)

2.若者がつくったメディア
 ところで,先に少しふれたケータイのマルチメディア的な発展についていえば,それらが若者たちのメディア使用から大きな影響を受けてきた点は指摘しておかなければならない。時代を少しさかのぼってポケベルがブームであった頃,高校生から大学生にかけての年代で,10数文字分ぐらいの小さなディスプレイで表示されるメッセージを,親しい者どうしで送りあうということが頻繁になされていた。この点に注目した携帯電話やPHSの各事業者は,有望な市場と見込まれた若者層への浸透をはかるひとつの方策として,文字によるメッセージの交換機能を安価に提供するというサービスを競って取り入れた。ポケベルでメッセージを送りあう習慣が定着していた若者たちにとって,街なかでいちいち公衆電話を探さなくても簡単にメッセージを交わせることが人気の目玉になるに違いないという読みがあったわけだ。

 自分の携帯電話用に好みの着信音のメロディをネット上からダウンロードする「着メロ」ができるようになったのも,これとほぼ同じ時期に当たる。「着メロ」機能が急激に高度化するにつれて,オーディオ機器顔負けの音質をもつ携帯電話も登場したが,このあたりを契機に携帯電話は単なる「携帯できる電話」というレベルを超えた「マルチメディア」としての性格を強めていったのである。

 いまやすっかりおなじみになった「iモード」などのインターネット接続サービスも,ある意味ではこれらの機能を統合していった先に成立し得たといっても過言ではない。それゆえ,今日のケータイのスタイルは,若者たちの使い方のなかで形成されたといえるのである。

 今年3月には,ドイツのE-plus社が「iモード」のサービスを開始した。その後は,オランダ,ベルギーなどでも同じサービスが始まった。欧米では携帯電話の端末を使ったインターネットサービスはあまり成功しないとこれまでは考えられてきたが,いわば日本の若者文化のなかで育まれたサービスのビジネスモデルがどこまで浸透するか,関心が持たれているところでもある。
3.若者にとってのケータイ
では,今日の若者たちにとって,ケータイとはいったいどういった存在なのであろうか。まず,自分がケータイを持つことで何か身のまわりの変化を感じているであろうか。私たちの実施した大学生に対する調査から紹介してみよう。

利用による行動や意識の変化をたずねたところでは(図2),「ちょっとした用件で連絡を取り合うことが増えた」「夜間・深夜に連絡をとることが増えた」「いつでも連絡できるという安心感がもてる」「自宅にある電話の利用が減った」「人との連絡やコミュニケーションの回数が増えた」「常にもっていないと不安になる」といった項目について肯定的な回答が多く見られた。逆に否定的な回答が多く見られるのは,「携帯電話で家族がバラバラになっていくような気がする」「人と直接会って話をすることが増えた」「束縛されていると感じるようになった」「夜間に外出することが増えた」といった項目である(図2)。すなわち,全体的な傾向としては,携帯電話をもつことによって,いつでもどこでも連絡が取れるという意識が強まり,安心感が得られるというのである。

携帯電話の利用による行動や意識の変化
▲図2 携帯電話の利用による行動や意識の変化

次に,携帯電話を使用するようになったきっかけについてみると,「非常時や緊急時に役立つと思ったから」「友達が利用しているから」「待ち合わせに便利だから」などをあげる場合が多い(図3)。このことから携帯電話が,非常用のメディアとして重視されているだけでなく,友人とつながるためのなくてはならないメディアとして受け入れられていることがわかる。

上の点をまとめれば,若者にとってのケータイはいわば「ライフライン」なのだということが言えそうである。友達づきあいの上でも,ケータイがなければ持っている者どうしの場合と比べて,格段に連絡がとりにくくなってくる。逆にいえばケータイで連絡が取れない相手は,仲間どうしの間での存在感がどうしても薄くなってしまいかねないのである。

このように,気軽にかつ緊密に連絡を取りあうメディアが入り込むことで,かえって人間関係が煩わしくなる可能性が考えられる。この傾向を和らげるはたらきをするのが「番通」である。私たちの研究グループは,以前の調査で携帯電話の画面にかかってきた通話の持ち主の電話番号が表示される機能(発信者番号表示=「番通」)を見て,電話に出ないケースが少なくない点に注目し,「番通選択」と名づけた。上で紹介した調査でも,「一般的に,携帯電話やPHSにはかかってきた相手の電話番号が表示されます。その表示を見て,相手によっては電話に出ないことがありますか」という質問に対して,「よくある」「ときどきある」「数回ある」という回答を合計すると,実にケータイを使っている大学生の73.1%がそうした経験を持っていた。

最近の学生は新しく知り合った相手に教える連絡先として,ケータイの番号を挙げるものが最も多いとのことで,かなり気軽に教えているようである。その一方で広がった人間関係を「番通選択」によってある程度選別するということもやってのけている。そうやって,彼ら/彼女らなりのバランスをとっているのだという見方がとりあえずは可能だ。

こうしてみると,ケータイが,親しい相手といつでもつながることのできるツールであると同時に,親しくする相手を選択するためのツールでもあるということは,それらを使っている若者たちにとって,同時にそれは自分自身が「つかまえられる」ということであり,また「選択される」ということを意味している。そこに友達からの連絡があるかないか,多いか少ないかというのは,連絡を受ける側の自分が周囲からどのように思われているかを推測するうえで重要な要素なのだ。それは,ケータイが若者たちにとっての「鏡」の役割を果たしているということになるであろう。このように,若者たちにとってはライフラインであり,自己を確認する「鏡」であるからこそ,ケータイは必要不可欠な存在となっているのである。

携帯電話を利用するようになったきっかけ
▲図3 携帯電話を利用するようになったきっかけ
4.情報教育とケータイ
 以上で見てきたように,今日の若者たちにとってケータイは,上の年代層が考える以上にきわめて密接な関係にあるといえる。それだけ身近な情報機器なのである。いや,逆に身近な道具でありすぎて,対象化しづらい存在だといえるかもしれない。しかしそれが情報教育の中心に据えられる機会はまずなかったし,逆にそれをうまく組み込むことができず,排除の対象とすらなってきた。

 他方,新たに始まった情報Cにおいても,インターネットやマルチメディアの有効活用といった課題が中心で,コンピュータ/ネットワーク教育偏重である点は否定できない。少なくともその中核にケータイを位置づける場所はないのだ。

 とはいえ,これだけ生徒・学生たちの間で当たり前の存在になっているケータイを教育の場にうまく組み込もうという試みも,まったくないわけではない。大阪の府立高校の教員を務める航薫平氏は,生徒指導上での次のような例を示している。

 「生徒が掃除をサボったとき。今までなら,担任のヒステリックな全校放送(「○年○組××,すぐ教室へ戻れ!」)がよく入った。しかし,今や彼のケータイにすぐ電話し,「早よ教室に戻って来い!」と呼び出すだけでOK(※その生徒の友達のケータイを借りて呼び出すのがミソ)。

 定期テスト定刻になっても来ない生徒がいても,いちいち担任がモーニング・コールしてやる必要もない。「△△くん,どうした?」と友達に聞くだけで,心やさしきクラスメートたち,いっせいにケータイのボタンを押してくれている。」

 こうした事例は些細なエピソードに過ぎないものの,最近の総合的な学習の時間でおこなわれるような校外での活動の際に,たとえば地域の住民や各種団体に取材したり,連絡をとったりする際の窓口として,個々の学生が自分自身のケータイを使ってさまざまな交渉をおこなったり,折衝したりすることで,自分自身の判断において行動するようになる傾向が見られるという。つまり,個人メディアを有効に活用することで,個人として自立する助けになるというわけである。

 また,フィールドワークやリポートの提出,課題提示などにケータイ・インターネットを活用する授業の例も少しずつ増えているという話も聞く。これは学生がすでに持っているネットワークインフラとしてのケータイを,教育の中に組み込んでいこうという試みとして位置づけられるであろう。

 ただし,過度にケータイに依存した情報リテラシーの教育を進めることも,また問題がある。インターネットにおける情報検索の場合も,メールを通じたドキュメントのやりとりも,ケータイ・インターネットでは使い勝手の面などで限界があるからだ。学校に配置できるパソコンやネットワークの設備がコスト面から限られてしまうのに対して,すでに生徒/学生たちが使いこなしているケータイで代替しようというのは,ある程度有効性を持つのは確かである。しかし,それで良しとしてしまっては,結局予算や設備の不足を転嫁するための方便に過ぎなくなってしまう。

 このように教育や指導のツールとして用いる以外で,ケータイを通じた学習として考えられるのは,ケータイをめぐるさまざまな社会現象や諸問題を通じて,現代の社会をとらえようとする試みである。自著の宣伝になってしまって恐縮だが,この春に私たちが出版した『ケータイ学入門』(有斐閣)は,まさにそうした目的で作られたテキストだ。情報社会におけるメディアの性質や人間関係,社会問題などさまざまな論点を考察するために,ケータイをその中心に据えたものだ。こうした試みのなかでは,ケータイの歴史的な経緯を説明することを通じて,メディアの発展とはどんなことなのかを理解する手がかりになるであろうし,電車の中などのいわゆる公共空間でのケータイのマナー問題を考察することで,公共性やルールとマナーについての理解をより深めることができるだろう。また,番号通知の機能のしくみや,ケータイメールにおける迷惑メールやチェーンメールの問題を扱うことによって,個人情報の自己管理やネットワーク・セキュリティの意識について学ぶことも可能だ。これらのパースペクティヴを用いることで,より具体的に情報社会の仕組みを理解する助けになるのではないかと私は考えている。

 現代のさまざまな情報メディアの中で,ケータイはどのような位置づけにあるのか,それと同時に,生徒たち自身にとって,ケータイはどのような関係にあるのか,このふたつの点を明確に認識することは,情報教育のなかではきわめて重要である。それなくして,生徒たちの情報行動の実情とはかならずしも一致しないような情報教育を進めていっても,その先に重大な欠陥を抱えてしまうことは避けられないのではなかろうか。
【参考文献】
岡田朋之「携帯電話の利用と人間関係」『季刊家計経済研究』2002年冬号
木村伸司「携帯に関する実態調査報告」於大阪府高等学校情報教育研究会ユビキタス ネットワーク研修会,2002年3月2日
航 薫平「問われる『大人』の視点と立脚点─学校現場における『ケータイ』『メ ール』の『功』と『罪』」『月刊生徒指導』2000年9月号
岡田朋之・松田美佐編『ケータイ学入門』有斐閣 2002年
    次へ
目次に戻る
上に戻る