ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.9 > p28

コンピュータ教育のバグ
バナナがフロッピーになった
−コンピュータ周辺での価値観の変化−
 年配の方の昔語りで,「昔,バナナは高級品でね,風邪をひくか親戚が集まるかした時にしか口に出来なかったんだよ」なんておっしゃるのを,よく耳にする。長い年月のうちに,物の価値観はいろいろと変化するのは当然で,バナナはその端的な例といえる。この価値観の変化に要する年月もコンピュータの周辺では,どうも世の中一般よりもかなり早いようで…。
性能は高くなり,価格は低くなり
 ほんの数年前までは,コンピュータというのはかなりの高級品で,例えばパソコンを個人で買うには清水の舞台どころか,エンパイアステートビルから飛び降りるほどの決心を必要としたものである。それが,いつの頃からか,お手軽な家電製品になり,一家に1台から一人に1台へなどという状況になってきている。コンピュータの周辺機器でも,コンピュータ関連の消耗品類でもまた然りである。
 だから,学校においても,コンピュータの設置環境は劇的に改善され,以前とはくらべものにならないほど整った環境でコンピュータ実習を行って,となるはずである。ところが,現実はなかなか厳しい。物を大切にするのはよいことなのだが,それにしても,5年も10年も前のパソコンが何十台も教室に並んで現役でがんばっているのを見るにつけ,日本の学校はパソコン博物館としての価値があるんじゃないかなどと感じてしまう。
 学校におけるコンピュータとその周辺機器の更新について,サイクルが長すぎるということは,大問題であるが,それ以外にも,さらにもう一つ考えなければならないのは,こういうコンピュータに関連する部分での,リアルタイムな価値観を,正確に把握して,それを生徒たちに伝える必要性があるのではないかということである。
浪費や乱暴な扱いはダメよ,でもね
 たとえば,フロッピーディスクを例に考えてみよう。学校におけるコンピュータ実習の記録媒体としては,今までのところ,これが最も一般的だった。このフロッピーディスクも,価格は大幅に下がり,安定性は向上し,ここ何年かで,かなり価値観の変容した物の一つであると思う。
 10年も前なら,授業でフロッピーを生徒に触らせること自体が,大きなイベントであった。先生も「今日はいよいよフロッピーを使います」なんていう前置きをして,フロッピーの使い方と注意事項の説明で,その時間いっぱいかかったりしたものである。ちょっとでも粗末に扱うと「こらぁ,1枚いくらすると思ってんだ,乱暴に扱うんじゃない」なんて怒られるものだから,生徒の方も腫れ物に触るように扱っていた。
 いつの時代でも,物を丁寧に扱うのはいいことだ。しかし,はたして,先生の方は,フロッピーの価値観の変化をきちんと把握して,授業なり実習なりに反映できているのだろうか。以前なら貴重品だから,複数の生徒で1枚を共有するようなことも平気で行っていた。しかし,今なら,個人的な情報をしまっておいたり,ファイルを種類別にそれぞれ別のフロッピーに整理したりするなどの活用法も可能だ。取り扱いの注意事項もただ丁寧にというだけでなく,ウイルスのこと等も配慮して説明しなければならない。
 こういう変化をなるべく早く感じ取って,授業にうまく取り入れたいものである。「昔,フロッピーは貴重品でね,1年間に1枚,それも班ごとにしか使わせてもらえなかったんだよ」などと昔語りをしながら。
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