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海外の情報教育の現場から |
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韓国における情報化と情報教育事情
−政策と経緯を中心に− |
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1.はじめに |
韓国の情報化に対する熱意は非常に高い。何か新しい情報技術が発表される度に素早く受け入れようとする傾向がある。これは,「世界の潮流に乗り遅れないように」という危機感と,先端技術の早期導入により国力を向上させ「世界に誇れる韓国」を目指そうとする意欲という二面性を国家と市民の双方が意識しているからである。
筆者は長年の韓国滞在(1991−1999年)での体験に基づいて,政策を中心とした情報化の経緯および情報教育の取り組みの現状について述べてみる。 |
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2.1990年代初期の情報化の経緯 |
韓国は,1960年代から1980年代にかけて急速な経済の高度成長を遂げ,それに伴い国民生活水準も飛躍的に向上した。市民感覚で表現すれば,モノクロテレビからカラーテレビへ移行するよりも一足飛びにリモコン付き音声多重カラーテレビへと短期間で移行するような感覚である(実際そうであった)。
私が留学した1991年は,パソコンの普及がようやく始まろうとしていた時期であり,家電製品のように市中で見かけることはなかった。しかし,高等教育機関での電算化の積極的な導入には驚いた。当時の日本の教育機関にも専用通信回線や端末機がある程度設置されていたが,それを使用する者はごく限られていた。しかし,韓国の大学(特に首都圏の大学)は,文系・理系を問わず在学生が情報処理(DOSをオペレーションシステムとしたパソコン:以下OS)実習を自主的(有料で開講されていた)に学び,電算室はもとより校内各所に設置されていた端末機を利用して情報収集や履修登録等を行っていた。当時は,ブラウザーソフトによるインターネット接続ではなく,校内では専用線,外部からはテレネット接続による,「パソコン通信」であり,昔懐かしい?モノクロ画面にログインコマンドを入力して操作するものであった。また,講義のレポート等は,所定のワープロソフト(韓国では「アレア・ハングル」が基準である)で作成して提出しなければならなかったため,韓国に来るまでパソコンに触れたことがなかった私は,現地で慌ててパソコンを購入した経緯がある。また,文科系の学生は,現在のように初心者用の必要最小限の解説書などは皆無であったため,パソコンの知識を得るために専門書や輸入された解説書を読みながらパソコンの操作を独習していた。私も分厚い参考書を片手に,「原理」から学ばざるを得ない状態であった。数年後,私が通っていた大学では,学内の情報化を推進すべく,新入生に入学時にノートパソコンを購入することを義務づけたため,マスコミで話題になった。当時は,パソコンの価格がそれなりに安定してきたとはいえ,ノートパソコンに関しては「高嶺の花」であった。これでは学生に負担を強いることになるという批判もあったが,大学側はメーカーと提携して市中価格の半額で提供することになり,学生の大半が格安のノートパソコンを購入した。
同様に,市民レベルでの情報化を促進したのは,所謂「パソコン通信」であった。1988年のソウルオリンピック開催に合わせて,当時の通信事業独占企業であった「韓国通信」が一般市民向けに電話回線によるネットワーク接続サービス(HITEL)を開始し,その後,通信事業緩和政策により誕生した大手通信企業の「DACOM(デーコム)」も同様のサービス(CHOLLIAN)を開始した。これらは,日本の「PC-VAN」や「Nifty-Serve」と同様の位置付けであった。特に韓国通信は,個人利用を促進するために電話局で小型簡易端末の無料貸し出しを行い,パソコンが無い人でも電話回線があればサービスを利用できるように便宜を図ったため加入者が増加した。
以上のように,高等教育機関での情報化の推進と一般人のネットワーク利用促進が,後の新政権(1993年)発足後から韓国の情報化が加速度的に進行する要因となったのである。 |
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3.文民政権時の情報化と情報教育 |
(1)文民政権の情報化政策
1993年,長期にわたる歴代の軍人出身大統領にかわり,文民出身の金泳三(キム・ヨンサム)大統領が政権に就いた。金大統領は,政権の理念として「世界化」(国際化)を挙げ,21世紀に向けて積極的な情報化政策を打ち出した。当時,テレビのニュース番組で大統領の執務室が映し出されるたびに,視聴者は,執務室のデスクに1台のパソコンが鎮座しているのを見ることが出来た。これは,歴代大統領の執務室に初めて設置された物であり,映像を見る度に「大統領もパソコンを使う」という『情報化の「大衆化」』へのイメージ作りに多大な効果があった(大統領が実際に使っていたかどうかは不明である)。
政府の積極的な情報化政策により,ネットワーク通信の大衆化が急速に浸透し,各家庭にもパソコンが普及し始め,高校や中学にも情報(パソコン)教育の確立が教育界で論議されるようになった。
(2)「Kidnet」運動による情報教育の確立と社会的影響
1996年,韓国内で新聞の最大発行部数を誇る朝鮮日報社は,政府の情報化政策を反映した「キッドネット(Kidnet)」運動を展開した。※注1この運動の主旨は,戦後,韓国は産業化の遅れをとったが,情報化では世界に先駆けようとするものであり,小学生※注2にインターネットを学ばせ21世紀の情報化社会の中心的役割を担わせ,「情報先進国」として国威を表そうというものである。この運動は,主催者がマスコミということと,当時のパソコンブームの相乗効果により,政府や通信機器メーカーが積極的に参加した。パソコンメーカー,ソフトウェア関連企業が情報化普及の遅れている地方の学校へパソコンの設置や教師や学生を対象にした情報化導入教育を無償で行った。この運動により,韓国で本格的な初等教育施設への情報教育インフラ整備が開始されたのである。
(3)情報化促進による社会的影響
Kidnet運動と前後して中小のパソコン・ソフトメーカー,量販店が次々と設立され,パソコンブームが巻き起こった。情報関連のサービス業も多数進出し,若者の娯楽として長年君臨していたゲームセンターがインターネット環境の整った「ネットカフェ」の出現で商売の鞍替えを行うほどであった。
政府は,情報化向上のために,インターネット利用環境の整備拡充のために通信回線の規制緩和を行い,関連企業に一般家庭への専用線導入,CA TV回線の利用等,大容量通信回線の設置を促した。また,ハード・ソフト関係においても,企業への開発研究費援助や大手企業と大学の産学協同研究が盛んに行われ,半導体の開発(サムソン電子がメモリー市場において頭角を現した時期と一致している)やソフト開発が盛んに行われ,「ベンチャー企業」が多数出現した時期でもあった。
反面,急激な情報化の煽りで社会問題,とりわけ教育現場で様々な問題が現れはじめた。
高度(熾烈)な?学歴社会を形成している韓国では,小・中学校に通う子供を持つ親達は,子供の将来を考えて,パソコンを「学ぶ」ことが必要であると考え,家計を無視してパソコンを買い与えたり,学習塾以外にも「パソコン塾」に通わせたり,パソコン指導の家庭教師をつける等,次第に過熱していった。※注3
学校では,子供達の話題が必然的にパソコンに関連した内容に偏り,パソコンを持っていない子供はクラスメートの話題についていけず,いじめの対象になる者や自殺する者も現れた。また,学校の勉強をしないでパソコンやインターネットに没頭する子供が増加し,深夜までネットカフェに入り浸る者も現れる状況になった。
マスコミは「情報教育の犠牲者」として連日の如く情報教育のあり方について取り上げていた。
こうしたパソコン熱(情報化)を憂慮する声は日増しに多くなり,教育界からも小学生にパソコンやインターネットを教えるのは時期尚早とする「情報化社会不必要論」が論じられ話題になった。※注4
また,キッドネット運動等により,学校に設置されたパソコンが,短期間でアップグレードを重ねるソフトに追いつけず使えなくなったり,維持費がかさんで情報教育の運営を止めてしまう学校が現れたりするようになった。
キッドネット運動は,パソコンの一般家庭での普及が急速に広まるのに比例して2年ほどで下火になってしまった。 |
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4.経済危機を経ての新たな情報教育政策の試み |
1997年の後半に起きた経済危機より,情報化政策はもちろん情報教育への社会的注目度は低下した。※注5情報教育においてもキッドネットの協賛企業が経営不振を理由に運動当初のような積極的な参与が少なくなり,キッドネット自体の存在もかなり褪せてしまった時期である。
翌年の春,金大中(キム・デジュン)政権が誕生し,経済復興と併せて「情報教育に重点を置く」と公約し,前政権の政策を継承することになった。しかし,以前のような教育現場への直接的な投資ではなく,社会的間接資本に重点を置くことによる情報化教育の充実政策を行ったため,表面的には以前より目立たなくなったが,2000年に入り,教育部は情報教育の新たな政策「初・中等情報通信技術(ICT)教育必修化計画」※注6を発表した。その内容は,2001年度から小学校全学年を対象に週に1時間のパソコン教育の義務化を行うというものである。教育部は,初等教育では「パソコンを用いての意思疎通能力」,中等教育では,「情報収集,分析能力及び学習活用能力,情報教育資料総合管理及び体系化」を習得する目標を掲げている。更に,政策が大学等の高等教育機関に反映させるために,既に高等学校課程で施行されている「情報素養認証制度」が中学校までに拡大され,今後,高校・大学入試に反映する計画だという。
同時に,前政権時に社会問題となった情報格差(Digital Divide)※注7を解消するために,低所得者と農村地域に対する情報化投資が行われるとのことである。この計画を見る限りでは,前政権時の問題点を考慮して立案したようなので,今後の動向が注目される。 |
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5.おわりに |
韓国の情報化は90年代初期の数年間で急速な進歩を遂げ,現在も官民一体で進んでいる状況である。国民性と政治制度(大統領制)のおかげで,世界の情報化の動向を察知して直ぐに実行に移すのが特徴である。しかし,そのあまりにも早い決断(政策実行力)により,様々な問題や社会的副作用が発生し,国民が犠牲になるリスクを常に背負っている。※注8
情報教育も政策に翻弄され,経済危機により下火になっていたが,情報化の急速な発展によるプラスの面もあった。それは,インターネットを活用する若い世代の対日イメージの変化である。従来,過去の歴史的経緯と反日的教育により,韓国人の対日イメージは否定的であり,日本に関する情報は,教科書,韓国のマスメディア,書籍,物品,人伝えに聞いた話等,間接的なものが大半であった。しかし,インターネットの普及により,日本に関する情報を直接入手し,自分自身の判断で日本を理解することが可能になり,既存の否定的なイメージとのギャップを埋めることが出来るようになった。※注9
留学当初は,学生達にステレオタイプな質問ばかりされて困っていたが,情報化が進むにつれて質問の内容も具体的,時事的になり,私も知らないような日本の最新歌謡を知っている学生もいた。そして,日本に対するイメージも肯定的なものが多くなり,日本語学習と日本への旅行を希望する若者が増えてきたことを実感したのである。※注10
このケースを主題に,今後,韓国の情報教育を通じた国際・文化交流がどのように行われるかを考察していきたい。
最後に,韓国の情報化・情報教育は,新政権の政策により再び活性化しそうな気配である。今回の政策が軌道に乗れば,情報教育関連の研究事業や教育現場での研究も活発になされると思われる。現在の韓国の情報教育は,再構築の段階であり,数年後にその成果が現れると思われるので,今後も政治状況と併せて注目していきたいと考えている。 |
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※注1:正式名称は「子供にインターネットを」 http://kidnet.chosun.com
※注2:韓国の教育制度は,小学校(普通学校)までが義務教育であるという点を除いて日本の教育制度と同一である。
※注3:パソコンブームにより登場した大型パソコン量販店は,テレビと新聞に連日のごとく広告を掲載したが,その中のコピーに「コムメンのいない国を目指します」というのがあった。これは,ネット上で作られた新語で,「コム」(コンピュータの略語)と「メン」(目が見えないという意味で漢字「盲」の韓国語読み)が組み合わさって「パソコンが出来ない人」を意味し,流行語になった。
※注4:1996年の韓国におけるパソコン保有台数は,457万台で世界第9位であった(世界全体の保有台数は,3億5千万台)。
朝鮮日報,1997年11月19日
※注5:パソコンとインターネットの普及定着により供給が安定したことも要因のひとつとして挙げることが出来る。
※注6:朝鮮日報,2000年2月11日
※注7:この計画は,2002年までにパソコン利用度が低いとされる老人,主婦,農水産業従事者,障害者等,約1,000万人を対象に3年間のインターネット教育を実施し,地方の市町村を中心に超高速インターネットサービスを提供するものである。
※注8:韓国では政権が代わる度に前職大統領が過去の政策について糾弾されることがある。
※注9:1999年の韓国におけるインターネット利用者は,568万8,000名で,世界で10番目の規模である(世界全体の利用者総数は,約2億5,400万人)。聯合通信,1999年11月17日
※注10:1989年まで一般国民の海外渡航は制限されていたこともあり,海外事情に直接触れる機会が少なかったことも要因に挙げられる。
参考資料:○朝鮮日報 ○聯合通信 ○水色明(緒方 薫)「韓国,経済危機でコンピュータ教育にもかげり」(オンラインジャーナル 月刊「本とコンピュータ」1998年9月号 大日本印刷 http://www.honco.net/9809/clipping-j.html) |
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