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コンピュータ教育のバグ |
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ひとそれぞれ,特色をいかして! —情報教育に携わる先生たちの思い—
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年度はじめに学級の集合写真を撮影するとき,その係になった先生が一番苦労するのは?生徒でもなく,写真屋さんの手配でもなく,おそらくは同じ日に撮影する先生方の集合写真の段取りではないだろうか。「何日の何時からお願いしまーす」なんて言ってみても,「あっ,私その日出張です」とか,「会議が入ってるからダメ」とか。それでも何とか日程を合わせて撮影当日にこぎつけても,時間になってもみんなが揃わず,校内放送しまくりで集合をしてもらう。生徒なら,一喝もできるが,先生方にはそうもいかず。本当に担当者の苦労がしのばれます。
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新しい情報科? |
「新教科・情報」なんて呼び方も今は昔。しっかり定着したとは言えないまでも,高等学校における教科「情報」も,ようやく見慣れてきた感がある。実際に学校現場で行われている情報の授業内容を見てみようと,インターネットでちょっと検索しただけでも,かなりバラエティーに富んだコンテンツが出てくる。理数的なものから,社会科学的な切り口のもの,主にデザイン的要素が盛り込まれたもの,機械操作そのものに主眼を置いているもの,モラルや法律といった分野のものまで,枚挙にいとまがない。情報科の先生たちが,それぞれに工夫を凝らした珠玉の授業単元ならば,本書のバックナンバーを読みあさっただけでも本当にたくさん見つかるはずである。
さらにこのほど,「情報A」・「情報B」・「情報C」と3科目あった科目が,新たに「社会と情報」と「情報の科学」の2科目に改変されるというから,「新・新教科・情報」時代の到来,なんて言ってみてもよいのかもしれない。新しい指導要領に則った教科書も制作され,気分新たにリスタートといったところであろう。
ところで,実際の授業の内容はどうなるのだろうか。たとえ2科目に集約されたところで,今までのように担当する先生によって,バラエティーに富んだ授業が展開され続けていくことは想像に難くない。本当にこれで,すべてOKなのだろうか。
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何を基準にすべきなのか |
指導要領もある。教科書もある。そんな状況
は今までだって変わらなかった。それでも,こうもバラエティーに富んだ授業が展開している教科・科目が他にあるだろうか。そりゃあ,バラエティーに富んでいるのは何も悪いことばかりではない。しかし,である。バラエティーに富みすぎていて,脈絡が無くなっているのであれば問題ではないだろうか。やはりここは,情報科が設置された趣旨に基づいて確かな学びを保証して…となってくるはずである。そのはずなのだが,果たしてこれを誰がチェックしていくのか。実際には指導内容の精査を学校の枠組みを超えて鳥瞰的に行うのは至難の業なのかもしれない。だいたい「私の授業はちょっとヤバいんじゃない」なんて感じている先生の何割かは,あえて自分の授業内容を人目につくようなところに出したりはしないのではないだろうか。そうなると,改善の余地もチャンスも失われてしまっている。
上意下達でみんながみんな同じ単元案で授業しなければならないのでは,日本中のコンピュータ教室にヘチマが生え,ビオトープができてしまいそうである。しかし,よい集合写真を撮るためには,少なくともみんなが同じ方向は向いていなければならない。そのことは忘れてはならない常識でもある。
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