高校ではパソコンの設置率もパソコン台数も小学校や中学校より多いにも関わらず,高校の授業でコンピュータを利用する場面が少ないようである。大学入試を目前にして,余分な時間がかかって,しかも入試に関係ないと言われる情報教育やコンピュータ利用などやっていられないというのが先生方の心理なのだろうか。しかし,文部省の情報教育の研究指定を受けた学校を中心に,授業で積極的にコンピュータを利用している学校にアンケートを求めたところ,コンピュータを利用しても必要となる授業時数は「変わらない」と「少なくなった」という回答をあわせると60%近かった。 日本の外に目を転ずれば,情報活用能力(Information Literacy)が18才段階でついていなかったら大学を受験する資格さえないと判断される国や州がある。この流れは21世紀のさらに高度な情報通信社会を迎えようとしている今,世界的な傾向であるといっても過言ではない。その意味で,日本の新しい学習指導要領が高校の情報教育を教科として立てて,必修としたのは間違ってはいないと確信する。しかし,その取り組みの姿勢が高校の先生方の中で消極的なのはとても寂しい。 私自身,コンピュータがないともう仕事にならない。「毎日持ち歩いているノートパソコンが壊れたら…」「ある日,突然ウィルスに侵されたら…」これは他人に語れない自分にとっての恐怖になっている。原稿は無論のこと,講演でのプレゼンテーション,電子メールでの記録に残って自分の時間でできる密なコミュニケーション,ホームページなどからの様々な情報収集,電子的に得られた情報を短時間で自分の目的に使える手軽さ,さらにこれらを複合的にできることで便利さが増す。情報や成果や自分のメモが正確に蓄積されることが仕事をやりやすくする。もう,情報通信手段が自分の仕事を代行しているのではなく,自分の能力を拡張してくれていると実感している。決してキーボードを打つのは早くないし,新しいコンピュータに詳しくないし,ソフトウェアの情報も教え子に教わっている私でも。 清水康敬先生(東京工業大学教授)によれば,児童が1,400人いるアメリカのウィルソンスクールという小学校では1,400台のコンピュータがあるそうである。驚くのはその施設のすごさではなく,普段の授業の40%でコンピュータが使われているという事実である。先生が使いなさいと指示して使うのではなく,ノートと鉛筆,本や資料集,マイクやカメラを使う感覚でコンピュータを利用するのだろう。それは極めて自然なことである。 高校進学率が90%を越えている今,21世紀に活躍するこれからの高校生に必要な能力をつけることは国民全員に求められる能力でもある。その中に情報活用能力の必要性を認めるならば,高校の情報教育は大事にしたい。小・中学校で総合的な学習が進み,情報通信手段を課題解決に生かす学習活動が取り入れられていった時に,高校自身の情報化が最も遅れてしまったとしたら,理由はどうあれ,取り返しのつかないことになる。それだけは避けたいものである。