IT・Educationという20数ページ程度の小冊子も,歳を重ねて15巻になった。私は論説と教育実践例にまず目を通すが,高校や中学の教師は,テキスト活用事例や教育実践例,あるいは副教材の案内などにまず目が行くのかもしれない。大学院生は,研究会案内,新しい出版物やソフトウェアの情報に関心が高いようだ。このように,人それぞれで,定価300円へのニーズは違ってくるであろうが,利用価値は月刊の教育専門誌と,対等以上のものがあると思う。 その小冊子が,この度のNo.16からタイトルを変えるという。IT教育からICT教育へのシフトを書名にもストレートに反映させるというのであろう。この小冊子が発足した当時は,高校に新教科「情報」が,必修で設けられるとか,中学校では技術科の1領域に「情報とコンピュータ」が必修で入るという指導要領の大転換期でもあった。したがって,「情報教育=IT・Education」をタイトルにすることも,すんなりと通ったのであろう。しかしあれからわずかの期間に,ネットワークにつなげて,あるいはLANを張って,双方向の交流学習をすることが,この分野の主流になってきた。学校でテレビ会議,電子メールの交換,情報の検索などが盛んになるにつれて,いつしかパソコン本体は,「黒子役」に,「透明な存在」に移ってきたような気がする。今からパソコンを使うのだ! という肩肘張った気分で,コンピュータ教室に入るよりも,教室や図書室で,オープン教室の廊下で,電子メールのチェックやメモ代わりに使ったり,サーチエンジンで効率よく調べたりすることがはるかに多くなってきている。大学でも高校でも。教師も学生や生徒も。まさに高度情報通信社会に学校や家庭も組み込まれてきたことの現われでもある。 しかし振り返ってみると,コンピュータほど急激な普及と利用の目的が急激に変化した機器は,例を見ないであろう。学習や教育に限れば,電子計算機として,CAIつまり自動教授・学習・採点機として,CMIや校務支援に,ツールとして教授・学習の支援に,あるいは情報処理の学習というような普及と多様な用途が,短期間に広まり,混在したのである。だから「情報教育」とかIT・Educationといっても,受け取る人は,それぞれが関わってきたイメージで受け取るから,結果としては,ずれ,食い違い,誤解を招きかねないのである。 そのファジィな基盤の上に「コミュニケーションの道具に」という新しい用途が開け,広がり,定着し出したのである。受け取る私たちの過去のキャリアが違うから,ICTとして「Cの字」を挿入しても,すぐに共通理解はできないかもしれない。しかし私たちは,携帯電話や自家用車を通信や移動のツールだと自覚しないで,すでに使いこなして,生活の中に完全に組み込んでいる。私のパソコンも,今で4台目になる。しかし旅先にも持ち歩いて,電子メールの送受信,乗り物や宿の検索,PowerPointでプレゼン,というような使い方に切り替えたのは,3台目からである。以前のパソコンは,携帯メモ代わり,デジカメの写真取り込み,住所録,古い原稿のリニューアルなどには,まだ現役で働いてくれている。5台目を買うときは,また用途が違うのか,携帯電話と見分けがつかなくなるのか,見通しが立たないし,また立てようとも思わない。 この点では,40年間に6台買い換えた車とは大違いである。車は常に下取りしてもらい,「古い上着よさようなら」してきた。人間や荷物の移動にという基本目的も変わってない。運転操作の方法は,手動から自動に変わったが,ITとICTのような目的の構造的な変化はない。