ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.15 > p22

コンピュータ教育のバグ
チュニジア・セネガル・カメルーン
—交流実践の継続性—

 日本中が大騒ぎだったFIFAワールドカップTM。つい,この前のことなのに,もうずいぶん昔の出来事のような気がしてしまう今日この頃。それでも,改めて考えてみると,にわかサッカーファンを大きく増やした以外にも,いろいろな効果をもたらしたようにも思う。暫く前までは,世界のどこにあるのかさえ知らなかった国のことを,よく知るようになったり,世界中の国からやってきた人たちとの交流に花が咲いたりと,なんだか地球が少し小さくなったんじゃあないかと思うほど,いろんな国の人たちと仲良くなった気がする。

世界の人々と繋がった
 ワールドカップ開催前に,テレビのワイドショーで,「チュニジアってどこですか」という問いに正しく答えられる人はほとんどいないというのをやっていた。しかし,実際に日本代表チームと試合をしたために,単にアフリカの国であるという以外にも,セネガルやカメルーンとの場所の違いや,街の雰囲気までも何となく想像できてしまうからすごい。あるいは,アルゼンチンでは日本の大ヒット曲「島唄」が,そのまま日本語で唄われて大ヒット,ワールドカップのアルゼンチンチームの応援歌にまでなったという話も有名だ。さらに,2002年の6月は,日本各地の街中で髪の毛の中央を立てた髪型の人が異常に多かったというのも,歴史に残る出来事かも知れない。

 そんなワールドカップの会期中に,連日伝えられるトピックニュースの中には,選手をはじめとする,いろいろ国の人々と日本に住む人々との交流の模様が伝えられるものも多かった。あの期間は,本当に連日連夜いろいろな国の人が,日本中にあふれかえっていて,いろいろな交流が行われていたようだ。改めて,世界にはいろいろな国があって,いろいろな人がいる,という多文化理解の基本的な姿勢にまで考えを及ばせた方もあったのではないだろうか。何もかも良いことずくめの大会でもなかっただろうが,少なくとも世界に目を向けるきっかけづくりとしては,評価に値する。
繋がってからが問題なのだ
 さて,かくいう情報教育においても,世界と繋がって交流することは,大流行である。特に近年盛んなのは,インターネットによる交流である。メールや電子掲示板を使えば,料金や時差にあまり縛られずに交流ができる。盛り上がったところで,テレビ会議なんかを一発やれば,大満足の充実した実践になること請け合いである。

 こうして,交流をスタートさせるところは多い。ところが,年度が替わるたびに直面するのが,交流を継続させることについての問題である。対象となる生徒や児童は毎年どんどん入れ替わるので,うまく継続させないと,また一からやり直しになってしまう。担当する先生も入れ替わることもある。ひどいときには,担当者が転勤したら後を継ぐ先生がいないなんて場合もある。よほどきちっとした体制を組んでおかないと,こういう交流の実践を安定して継続させるのは難しいようだ。

 必ずしも,継続性を求めることだけが重要ではないとは思う。しかし,せっかく世界と繋がったのなら,実践の中でもその事実は大切にしたいところだ。従って,交流実践を行う際に,指導者に求められるのは,長期的なビジョンということになるのではないだろうか。何事も先を見て悪いわけがない。ということで,2006年のドイツワールドカップが,ソルトレイク五輪の二の舞にならないようにと祈りたい。
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