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ICT・EducationNo.1 > p1〜p4

論説
「情報」科への期待と課題
新潟大学教授 生田孝至
1.コミュニケーションリテラシーとしての情報教育

 リテラシーは,これまでは,文字の読み書き能力を示す概念であった。しかし,今日では,情報リテラシー,メディアリテラシー,コンピュータリテラシー,映像リテラシーなどの言葉が日常的に使われるようになっている。このように,リテラシーの概念は,文字の読み書きを越えてかなり広義になってきているといえよう。このことは,コミュニケーションにおける文字の役割が,従来ほどには独占的でなくなっていることを意味する。リテラシーを,その社会が必要とする基盤的コミュニケーション能力と理解するならば,今日の社会が必要とするコミュニケーション能力を手がかりに,そのリテラシーを検討する必要があろう。 ここで,コミュニケーションのリテラシーは,文字の読み書き能力や話し言葉に代表されるように,情報の送り手としての能力と同時に情報の受け手としての能力の双方の能力を指す概念として理解しておく必要がある。

  私たちの生活は,人々とのコミュニケーションによって成り立っているといえる。これらのコミュニケーションは,ほぼ三つの形態に分かれるように思われる。一つは,「対面コミュニケーション」といわれる形態である。人類の歴史から見ても,誕生から始まる人間の成長を考慮しても,人のコミュニケーションの最も基本となる形態である。この形態のコミュニケーションで求められるリテラシーは,対面する相手の話を聞く力と相手に話す力である。話し言葉に加えて,表情や身ぶりなどによる表現やそれを読みとる力なども必要となる。小学校では,総合的学習の時間などで国際交流など外国とのコミュニケーション能力の基礎を培うことになるが,そこでは,まず対面コミュニケーションでの話す,聞くといったリテラシーから始まることになろう。また,同時に,このコミュニケーションでは,討論で必要とされる論理的に話を展開するなどの能力も養うことになろう。

文字のリテラシー

  2つ目は,子どもが小学校へ行くときから始まる学校でのコミュニケーションに典型的にみることができる。学校では,教科書を使用し,文字で表現された文化を子どもは学び,自分の考えを文字で表現して,伝える。「文字を介するコミュニケーション」の始まりである。かくして,文字の読み書き能力が必然的に求められる。文字は学習されなければならない記号であると言われる所以である。話し言葉が中心であった時代においては,記憶力が大きな力を持っていたが,文字による記録が可能になると,文字を介しての学習と表現力がこの形態でのコミュニケーションで大きな力を発揮する。人の能力が,文字を媒介に測定され,評価される。当然ながら,文字を介するコミュニケーション形態では,文字の操作能力が大きく影響を及ぼすことになる。

  社会の発展と存続は,極端に言えばこの文字という記号によるコミュニケーションに依存してきたとも言える。人々によって形成されてきた多くの文化は,文字によって表現され記録され伝達されてきた。そして,先人の文化の享受は,文字の読解能力に全面的に依存してきた。学校教育の主要な役割は,文字のリテラシーであると言っても良いほどである。

  また,コミュニケーションメディアとしては,ラジオやテレビなどの電気メディアの開発によりマスメディアが発展したが,そこで,必要とされる能力は受信する能力であって,文字のように特別に学習を必要とはしない。映像視聴能力などの概念も検討されたが,リテラシーとしては,送信能力を必要とするものではなかった。したがって,これまでの映像関係のリテラシーは,受信と発信の能力を含む本来のリテラシーではなかったのである。

情報科のリテラシー

  3つ目は,「情報ネットワークによるコミュニケーションの形態」である。この形態のコミュニケーションには,マルチメディアで表現されるように,文字・数値・画像(動画)・音声などがマルチメディア上に統合された情報が対象となることと,インターネットに代表されるように,どこでも誰もが不特定多数に対して情報を発信し,かつ彼らから受信できると同時に他人の情報源を検索し容易にアクセスできることである。このコミュニケーション形態は,従来の印刷メディアによるコミュニケーションとは決定的に異なる能力や態度を必要とする。その一つは,コミュニケーションとして扱うシンボルが複合的であることにある。これまでは,文字は紙メディア,音はテープ,動きはビデオといったように,シンボルとそれを表現するメディアは単体であった。したがって,文字は文字,映像は映像というように単一のシンボルでの表現方式であった。マルチメディアによって,こうした単一シンボルでの表現が,音や画像,図表,数値,文字,画像などを組み合わせ統合して表現できるようになった。こうした,マルチシンボルによる表現は,単一シンボルの表現に生きてきたわれわれに,マルチシンボルの操作を要求する。これからのコミュニケーションは,文字・数値・画像(動画)・音声などがマルチメディア上に統合された情報によってなされるのである。マルチシンボルが複合化されそれによって表現された情報を読み書きする能力,新しいリテラシーの登場である。

科目と内容
▲科目と内容

  また,ネットワークを利用して容易に多くの人に情報を発信できるネットワークコミュニケーションが特色である。これに伴い,ネットワークによるコミュニケーションでの誹謗,不正浸入,不正行為などルールやエチケット,倫理などの課題がでてきている。したがって,新しい形態でのコミュニケーションに伴う,こうした能力や態度などが,新しいリテラシーとして総合的に学ばれなければならないといえる。

2.指導要領に見る情報科の特徴
 高等学校「情報」科は,新しいコミュニケーションリテラシーを視野に,必修科目として新設されたといえよう。

  学習指導要領は「情報」の目標を「情報及び情報技術を活用するための知識と技能の習得を通して,情報に関する科学的な見方や考え方を養うとともに,社会の中で情報及び情報技術が果たしている役割や影響を理解させ,情報化の進展に主体的に対応できる能力と態度を育てる。」としている。これをうけて,情報A,情報B,情報Cの3科目を設定しその目的と内容を明示している。それぞれの目標は次のようである。
情報A: コンピュータや情報通信ネットワークなどの活用を通して,情報を適切に収集・処理・発信するための基礎的な知識と技能を習得させるとともに,情報を主体的に活用しようとする態度を育てる。
情報B: コンピュータにおける情報の表し方や処理の仕組み,情報社会を支える情報技術の役割や影響を理解させ,問題解決においてコンピュータを効果的に活用するための科学的な考え方や方法を習得させる。
情報C: 情報のディジタル化や情報通信ネットワークの特性を理解させ,表現やコミュニケーションにおいてコンピュータなどを効果的に活用する能力を養うとともに,情報化の進展が社会に及ぼす影響を理解させ,情報社会に参加する上での望ましい態度を育てる。

  これだけからはA,B,Cの特徴が読みにくいが,情報Aはコンピュータやインターネットなどの基礎的活用力に係わることを対象にしているといえる。また,総授業数の1/2以上を実習にあてることとなっているので,インターネットで検索したり,マルチメディアで表現したりホームページを作成するなど,情報活用に係わる基礎的実践的力をつけることをねらいとする。情報Bは,コンピュータの仕組みや情報を科学することに焦点がある。情報科学の理論を学び,コンピュータによる問題解決などの実践的力をも目指す。情報Cは,情報ネットワークを用いたコミュニケーションに関心をおき,情報社会でのコミュニケーションの特徴や態度などを形成する。情報倫理やモラル,個人の責任などネットワーク社会でのエチケットなどについても扱う。

  どの科目においても,情報活用の基礎的技能や,科学的理解,社会でのネットワークの特徴と参加する態度などは共通に扱っている。しかし,科目によって,これらの内容に軽重があるといえる。どこに重点を置くかによって,情報A,B,Cの特徴がみえてくる。これを図示すると右上の図のようになろう。

  したがって,生徒の事態を視野におき,基礎的で実践的内容に関心がある場合には主として情報Aが,情報科学やコンピュータによる問題解決など情報科学に関心があれば情報Bが,ネットワークによるコミュニケーションとそうした社会に関心があれば情報Cということなろう。
3.カリキュラムの視点
構成主義的視点

  「情報」科のカリキュラムに限ったことではないが,その科目を嫌いにさせることは容易である。学習者にとってその学びの意味を問うことをしないで,教師が決めた道を教師のやり方で歩かせることである。

  構成主義的学習観にたてば,目標は生徒自らが設定し,そこへの道筋も自分で選択して構成するような,学習の過程をとる。こうしたやり方は,系統的に学習内容を配列し,プログラム学習的に階段を上るものに比べて一見効率は悪そうである。しかし,学習の世界が自分の手によって創り出されることを知ったとき,その学習は本来の意義をもつ。したがって,この「情報」科では,生徒がつくる「情報」の授業を基本としたい。そこには,生徒の生活している世界で,生徒の生き方に係わる主題とストーリーの枠組みが欲しい。

  情報教育が始まった頃の話である。進学校でもないある高校で生徒も勉強に身が入らない。英語にも,パソコンにも興味はない。悩んだあげく,情報と英語の教師が相互に関連する授業を構想した。アメリカの高校に通信の相手を捜し,パソコン通信による自己紹介から始まる。英語の時間に生徒は自分宛のメールを読む。初めて辞書を使う。英語の時間にメールを訳し,情報の時間にワープロを習い先方へ送る。やがて社会科で地域を調べ伝えるようになる。英語の授業,情報の授業,社会の授業は彼らの中で関連をもち課題とストーリーは一貫していた。

  こうした授業を展開するには,教師同士の協同が不可欠になる。「情報」科の性質上,どうしても教科横断的,クロスカリキュラム的に教育課程を構想することが求められる。長期に渡る単元の構想,教科横断による課題とプロジェクトの構成など,従来の1校時単位の授業構想から離れた,長期的単元構成をカリキュラム構想の基本としなければならないであろう。

  マルチメディアやインターネットなどの活用に係わる技術的実習が多くなるが,そうした技術を,生活の文脈から切り離して技術だけを取り出して教えるようなやり方は,情報嫌いを創り出すであろう。また,コンピュータの仕組みや情報理論を,内容の系統性だけでカリキュラム構成をしたなら,授業は好まれなくなるであろう。既にできあがった閉じたカリキュラムを実施するのではなく,生徒が自分で次々と創り出す授業として,柔軟なカリキュラムとしたい。大きく柔軟な仕掛けとしてのカリキュラムである。

文脈がみえる情報の視点

  マイケル・ハイムがいうようにこれからは,従来のような線形型ではなく,リンクであるとか,ノードのジャンプが中に組み入れられた表現になるであろう。こうした情報表現においては,情報と情報とのつながり,連結によって,その情報の意味が文脈をもってみえるようになるはずである。時には,ネットワークでの迷い子現象も指摘されるが,ネットワークや,コンピュータの高度な解析によって容易に手に入る情報を,自分の表現する世界に文脈をもって位置づけ構成することが大事になる。また,ネットワークを通して手に入る情報をそれの背景となる文脈を探りながら意味づけする,そうした能力を「情報」科で培って欲しいものである。

  また,コミュニケーションメディアは,ポケベルからPHS,携帯電話,モバイルへと,個人化している。それに伴い,コミュニケーションの表現も個人的になり,行動も個人的になる。コミュニケーションネットワークは,限りなく世界をめぐるが,それはコミュニケーションの個人化を一方において加速させる。コミュニケーションがどのような文脈で為されるかは,人間形成において大きな意味を持つ。「生きる力」がこれからの教育のキーワードとなっているが,これからは,「共同,協調,協力」など,他の人と力を合わせて課題を為す力が育てられなければならない。異学年とのコミュニケーション,地域社会の人とのコミュニケーション,他校とのコミュニケーション,外国の子ども達とのコミュニケーション,などを視野に,子どものコミュニケーションの文脈を個人から,仲間,社会,世界に広げる必要があろう。それには,表現も個人の表現だけでなく,仲間や遠くの人との集団による表現と伝達を学ぶ必要がある。

  このように,高等学校の「情報」は,多様化し情報が氾濫する社会の中で,確かな情報を探し,価値のある情報を創り出し,個人の課題と社会の課題を解決すべく,対象とする世界の文脈がみえるように,必要とする情報を駆使できる力の育成を目指すことが期待されるのである。
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