中学校では「特別の教科 道徳」にどのように取り組んでいけばよいのでしょうか?
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Q
小学校と中学校の学習指導要領では、どんなことが共通するでしょうか。
2018.01.25 / 特別の教科「道徳」(全般)について
回答者:関西外国語大学 太田和男
A
「中学校学習指導要領」(平成29年告示)では、「第1章 総則」の「第1 中学校教育の基本と教育課程の役割 の2の(2)」に、道徳教育の目標を次のように示しています。
「道徳教育は、教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき、自己の生き方を考え、主体的な判断の下に行動し、自立した一人の人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性を養うことを目標とすること。」
このことは、小学校、中学校共に共通で、
- 「自己の生き方を考える」とは、道徳教育で児童生徒が「自己の生き方」を考えることができるようにすること。
- 「主体的な判断の下に行動する」とは、道徳教育で児童生徒の「主体的な判断」の下での行動を促すこと。
- 自立した一人の人間として他者と共によりよく生きる」とは、道徳教育では主体性ある人間が、他者と豊かに生きることを目指すこと。
を示しています。
また、道徳科の目標は、次のとおりです。
学習指導要領 特別の教科 道徳(道徳科)の目標 (下線部 筆者) | |
---|---|
小学校 | 中学校 |
よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うため、道徳的諸価値についての理解を基に、自己を見つめ、物事を多面的・多角的に考え、自己の生き方についての考えを深める学習を通して、道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる。 | よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うため、道徳的諸価値についての理解を基に、自己を見つめ、物事を広い視野から多面的・多角的に考え、人間としての生き方についての考えを深める学習を通して、道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる。 |
「物事を多面的・多角的に」と「物事を広い視野から多面的・多角的に」、「自己の生き方」と「人間としての生き方」が異なりますが、基本的には同一です。
道徳性を養うために行う道徳科における学習のポイントは、
- 道徳的諸価値について理解する
- 自己を見つめる
- 物事を多面的・多角的に考える
- 自己の生き方についての考えを深める
- 道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる
などで、小学校、中学校で児童生徒の発達段階を踏まえ、「考え、議論する道徳」のための内容や指導方法などを適切に見直すことが必要だということです。
共通していることは、学習指導要領上、目標や内容が発達の段階に応じたものとなっていることや、指導に当たっては、小学校と中学校との発達の段階に十分配慮する必要があることがポイントと言えます。
関西外国語大学 太田和男
Q
小学校と中学校の学習指導要領では、どのような違いがありますか。
2018.01.25 / 特別の教科「道徳」(全般)について
回答者:関西外国語大学 太田和男
A
小学校と中学校とでは、発達の段階に応じて、目標や指導内容が違っています。まず、目標です。
学習指導要領 特別の教科 道徳(道徳科)の目標 (下線部 筆者) | |
---|---|
小学校 | 中学校 |
よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うため、道徳的諸価値についての理解を基に、自己を見つめ、物事を多面的・多角的に考え、自己の生き方についての考えを深める学習を通して、道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる。 | よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うため、道徳的諸価値についての理解を基に、自己を見つめ、物事を広い視野から多面的・多角的に考え、人間としての生き方についての考えを深める学習を通して、道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる。 |
基本的には同じですが、中学生の時期はさらに視野が広がり、人生の意味を求め、いかによりよく生きるかという人間としての生き方を主体的に模索し始める時期であることから、下線部のようになっています。
次に、指導内容ですが、小学校低学年、中学年、高学年、中学校とそれぞれの内容について系統性をもたせ、発達の段階に応じた指導内容になっています。たとえば「個性の伸長」では、次のとおりです。
学年 | 「個性の伸長」の内容 |
---|---|
小学校 低学年 |
自分の特徴に気付くこと。 |
小学校 中学年 |
自分の特徴に気付き、長所を伸ばすこと。 |
小学校 高学年 |
自分の特徴を知って、短所を改め長所を伸ばすこと。 |
中学校 | 自己を見つめ、自己の向上を図るとともに、個性を伸ばして充実した生き方を追求すること。 |
このように、自分自身を客観的に見ることが十分でない低学年から、それができるようになる中学年、自分の特徴を多面的・多角的に捉えようとする高学年、中学校の段階では自己を見つめ、自分自身の向上につなげていこうとするなど、発達の段階に応じた指導内容になっています。
最後に指導方法ですが、子どもたちの道徳性は、成長するにつれ“他律から自律”へ向かっていきます。小学校低学年の時期は、教師の指示や集団のきまりに強く影響を受けるので、この時期の指導方法では、教え込むことも必要です。小学校中学年から高学年へと進むにつれて、教え込むより考えさせることにウェイトをおく授業を展開することが必要です。また、中学校の授業では、教師が生徒と共に考える姿勢を取ることで生徒たちがより深く考えられるでしょう。
学習指導要領では道徳教育の指導について「発達の段階を考慮して、適切な指導を行わなければならない」としています。道徳科の指導に当たっては、発達の段階に応じて指導方法を適切に選択し、児童生徒の実態に応じた指導を行うことが大切です。
関西外国語大学 太田和男
Q
道徳教育を推進するため、小中連携が大切だと思いますが、どのように実践したらよいのでしょうか。
2018.01.25 / 特別の教科「道徳」(全般)について
回答者:関西外国語大学 太田和男
A
道徳教育には、学校・地域・家庭という横軸の連携と、「幼・小・中・高」という縦軸の連携があります。道徳教育を推進するには、中学校区(2小1中、3小1中など)の小中学校間で、「育てていきたい子ども像」を共に描き、地域で「子どもを一緒に育てる」という意識をもつことが大切です。「小学校での道徳教育の成果が、どのように中学校に引き継がれ生かされるのか。」「子どもの道徳性の育ちのバトンを、小学校から中学校へどのようにうまく受け渡していくのか。」など考えると、ますます小中連携が重要となるでしょう。
小中連携の取組として、同じ中学校区の小学校、中学校で重点化する道徳の内容項目を意図的に共有してはどうでしょう。一つの観点で継続的に子どもを育もうとする取組は、そのスパンが長ければ長いほど効果が上がります。
たとえば、「規範意識」を重点化し徹底して取り組む。具体的に「人の話をしっかり聞く」ということでも、中学校3年間で行えば変わりますが、小学校から中学校の9年間を通して「どんなときでも人の話をしっかり聞く」という教育に取り組めば、それなりの成果が得られると思います。
また、道徳科の授業を小中各校で公開しませんか。授業公開月間を設ければ、先生方が各自授業の都合をつけて参観できますし、授業研を行うことで同じ中学校区の先生方の交流にもなります。特に、中学校の先生方には、小学校の先生方の授業を見られることを推奨します。丁寧にきめ細かく指導され、児童の活動型の学習を多く取り入れている授業は、大変参考になります。生徒たちが小学校でどのように学習(教材も含め)してきたかもわかり、今後の授業に生かすこともできます。
最後に、道徳科の評価についても小中合同研修を行う必要があるでしょう。同じ中学校区の小中学校に通う兄弟・姉妹で評価が違うと、児童・生徒・保護者は戸惑います。評価法について研修を深め、各校で共通した認識で評価を行うことが大切だと思います。また、「行動の記録」に一人ひとりの道徳性の育ちについて記録することで、情報の交換になりますので、あわせて実施されることをお勧めします。
関西外国語大学 太田和男
Q
「中1ギャップ」を防ぐために、道徳科で何かできることはあるでしょうか。
2018.01.25 / 特別の教科「道徳」(全般)について
回答者:関西外国語大学 太田和男
A
子どもたちが小学校から中学校への進学に際し、新しい環境での学習や生活に不適応を起こす現象を「中1ギャップ」と呼びます。
「中1ギャップ」はなぜ起きるのでしょうか?
小学校から中学校への大きな環境の変化(小中の接続ギャップ)で、
- 新しい人間関係がうまくつくれない
- 親しい友人、教員等の支えがなくなる
- 周囲の仲間から認めてもらえない
- 学習、部活動についていけない
- 自己理想と現実の自分との違いに悩む
などから、自己有用感を喪失しているのではといわれています。
「中1ギャップ」を少しでも防ぐために、道徳科の授業で小中連携、小小連携を行ってはどうでしょう。
(1)中学校教員が「出前授業」として小学校で道徳の授業を実施。
大きな環境変化に対応し、小学生が中学校生活に抵抗なく入っていけるようにするためには、中学校の先生が、小学校に出向き道徳の授業を行う、またはゲストティーチャーとして授業に参加するなどで、中学校に親しみを感じさせることが大切だと思います。「出前授業」を行うことで、小・中学校の教職員の情報交換の場にもなり、中学校入学前から複数の視点で子どもたちを見ていくことができると思います。
(2)中学1年生と小学6年生合同で道徳の授業を実施。
中学校ブロック(1中学校1年生:4クラス、2小学校6年生:各2クラスの場合)で、中学1年生2クラスごとに各小学校に出向き、合同道徳授業で交流します。異年齢集団で行う道徳の授業で、授業形態は4クラス(小中合同で)での学年道徳か、2クラス(小中1クラス)ごとで実施してはどうでしょう。道徳の授業での交流を通して、小学生が「中学生の意見はすごい。」「自分もあんな中学生になりたい。」といった、中学生になることを楽しみに感じるようにすることが大切だと思います。
(3)他校の小学校と合同で道徳の授業を実施。
同じ中学校に入学する小学6年生が、合同道徳授業で交流することで、新しい人間関係への不安や周囲の仲間から認めてもらえないではという不安を少しでも改善できると思います。
このような取組を行うことで、少しでも児童の自己有用感の損失を防ぎ、「中1ギャップ」の解消になればと考えています。
関西外国語大学 太田和男
Q
中学校では、「体験的な学習」をどうすればよいのでしょうか。
2018.01.25 / 問題解決的な学習/体験的な学習
回答者:関西外国語大学 太田和男
A
道徳科における体験的な学習には、読み物資料等を活用した場合、その教材に登場する人物等の言動を即興的に演技して考える役割演技(ロールプレイング)などの疑似体験的な表現活動を取り入れた学習が考えられます。具体的な道徳的行為の場面を想起させ追体験させて、実際に行為することの難しさとその理由を考えさせ、弱さを克服することの大切さを自覚させたり、逆に生徒たちが見聞きした道徳的行為を出し合ったりして考えを深めることもできます。ただ、中学生の時期、生徒は、恥ずかしがって授業で演技しないこともあります。
そのようなとき、TT授業の時に先生同士で役割演技されては、どうでしょう。生徒たちも教材を読むだけより深く考えられると思います。また、教材の登場人物のセリフだけでも生徒同士ペアで言わせてみてはどうでしょう。
例えば、教材「最後のおくり物」(『私たちの道徳 小学校5・6年』掲載)の登場人物、ロベーヌとジュルジュじいさんのセリフを、互いに役柄を変えて生徒たちが言い合うことで、ロベーヌとジュルジュじいさんの互いに思いやる気持ちや、親切にすることに喜びを感じていたことを疑似体験することができます。英語科の授業でもピアレッスンなど取り入れているので、生徒たちも抵抗なく行うと思います。
また、吹き出しを付けることで、生徒に主人公の立場で考えさせてはどうでしょう。「君たちが、主人公の立場ならどのようなことを言いますか。」とし、生徒が、シナリオを考え、発表する。
例えば、教材「自分ってなんだろう」(中学校道徳副読本『あすを生きる2年』掲載)の『ブッタとシッタカブッタ』の4コマ漫画の4コマ目を吹き出しにし、生徒各自が、シナリオを考え、グループで発表し合う。グループの代表者が、1コマ目から順に読み、最後の4コマ目に代表者の考えを発表する。
最後に、体験的な学習を単に体験的行為そのものを目的として行うのではなく、授業の中に適切に取り入れ、体験的行為や活動を通じて学んだ内容から道徳的価値の意義などについて考えを深めるようにすることが大切です。
関西外国語大学 太田和男
Q
「ローテーション道徳」とは、どのような取組ですか。また、どのように進めるとよいのでしょうか。
2017.11.20 / 授業の進め方
回答者:関西外国語大学 太田和男
A
「ローテーション道徳」は、年に数回、その学年の教師が交代で学年の全学級を回って道徳の授業を行う取組のことです。その間、教師はそれぞれ同じ教材を使用し続けます。たとえば、1学年3クラス、担任3名、副担任2名の学年の場合は次の図のようになります。
このように、何度も同じ教材で授業を行うことによって教師の授業力の向上につながりますし、特に中学校では、教師の専門教科や得意分野などを生かした魅力的な道徳の授業を展開できると考えられます。また、学級担任が自分のクラスの授業を参観できることから、普段の授業とは違う子どもの一面を発見することができます。子どもにとっても、学級担任以外の教師の授業を受けることで、普段とは違った授業展開から学習できます。
さらに、子どもたち一人ひとりのバックグラウンド(家庭状況など)についての共通理解が深まり、学年の全教師で、子どもの道徳性の育成に取り組む姿勢が一段と芽生えるでしょう。また、個々の子どもの道徳科における学習状況の評価を学年の全教師で担当することになり、評価において学校として組織的に取り組み、保護者の理解を得ながら進めることができると考えます。
関西外国語大学 太田和男
Q
「学年道徳」とは、どのような取組ですか。また、どのような道徳の授業を行っているのですか。
2017.11.20 / 授業の進め方
回答者:関西外国語大学 太田和男
A
「学年道徳」は、学年集会のように全学級が一堂に集まり、学年の教師で道徳の授業を行う取組のことです。全校生徒で実施する道徳の授業として「全校道徳」という取組もあります。
「学年道徳」は、体育館などで授業を行う場合が多いので、さまざまな形式で実施しています。学年集会のように男女一列ずつ並ぶ形や、ゲストティーチャーを招いたときの形もあります。授業の展開に応じて工夫がなされています。たとえば、次のような形で実施されることもあります。
これは、クラスの座席配置をそのまま体育館に移動し、コの字型にしたものです。学年の教師で、進行を担当する授業者、板書担当者、マイク担当者を決定し、各クラスを一つのグループと考え、グループのまとめ役として学級担任などを配置して授業を展開します。授業の展開については、教室で行っているように、発問に対し指名された生徒が発言する、または、グループ(ここでは各学級)で意見交流しグループの意見(学級の意見)として発表します。
中学校で実施した「学年道徳」での感想を紹介します。
【生徒の感想】
- 自分の学級以外の仲間の意見が聴けて、いつもよりいろんなことが考えられた。
- 教科のときしか知らない先生が、あのように考えているのが聴けて新鮮だった。
- 今回は、校長先生も参加しての学年道徳で、校長先生の意見も聴けて楽しかった。
など
【教師の感想】
- 事前の打ち合わせ(学年会)が、道徳授業の研修になりよかった。
- いつも自分で考えた展開で授業を行っていたが、いろんな先生方の発問、発言などから授業展開の仕方が学べた。
- 教科と違って、生徒があのような発言をするのかと、新たな発見がありました。
など
プラスの面だけでなく、「学年道徳」では、子どもの人数が多いため、すべての子どもが発言することは難しく、個々の子どもの道徳的価値の理解を深めることができるかという課題もあります。一つの主題を1単位時間で扱うことが一般的ですが、「学年道徳」の内容を生かして、一つの主題を2単位時間にわたって指導することが大切でしょう。たとえば、「学年道徳」後に各学級で行う道徳の授業でも同じ主題を扱い、導入では「学年道徳」での子どもの感想などを使い、展開では、じっくりと考える読み物資料を精選し使用することで、さらに子どもの道徳的価値の理解を深めるといった工夫も必要と考えます。
「道徳的諸価値についての理解を基に、自己を見つめ、物事を(広い視野から)多面的・多角的に考え、自己(人間として)の生き方についての考えを深める」という学習活動の取組の一つとして「ローテーション道徳」、「学年道徳」を実施されてはいかがでしょうか。
関西外国語大学 太田和男
Q
長い教材は、読むだけで時間が足りなくなります。よい工夫はないのでしょうか。
2017.07.05 / 授業の進め方
回答者:前姫路市立城西小学校 校長 新井浩一
A
道徳の時間に扱う教材には、随分長いものがありますが、そのような場合に、ストーリーや状況把握、登場人物の関係性や心の変容などを押さえながら授業を展開し、結果、時間が足りなくなったという事例はよく目にします。
そもそも、1単位時間で一つの価値について追究する道徳の時間では、そのような進め方そのものに問題があると言えるでしょう。
道徳の時間は、読み取りを目的としているわけではありませんので、道徳の時間にすべき優先順位の高い事がらに時間を割くべきなのです。それは、子どもたちが本時で扱う道徳的価値について議論しながら、自身の考えを広げたり深めたりする時間のことです。
しかし、教材そのものの理解が不十分では、議論が深まるはずがありませんので、工夫が必要になってきます。
例えば、一読後、教師が話の流れや状況などの設定について、子どもたちと確認しながら整理することで時間短縮を図り、本時で扱う道徳的価値について考えさせたい場面に絞って授業を展開するという方法です。
また、小学校高学年や中学校では、事前に家庭学習で読んでこさせ、考えたことを持って授業に臨ませるということも可能ではないでしょうか。授業で初めて教材と出会わせなければならないという理由はありません。大事なのは、家で考えていたことが、授業中みんなの考えを聞くことで、広がり深まることなのです。そういう意味では、教材の扱い方についても教師の意識変革が必要なのかも知れません。
前姫路市立城西小学校 校長 新井浩一
Q
道徳の時間を簡単にできる方法はありませんか。
2017.07.05 / 授業の進め方
回答者:京都文教大学 毛利豊和
A
あります。
現在、多忙感が充満している学校現場で、「簡単に」は、軽視する意見ではないと感じています。
- A.もっとも簡単な方法は、多くの指導案付教材がありますので、教材も展開(発問)もそのまま活用すればいいでしょう。
- B.少し、自分らしさを出したいなら、Aパターンで、中心教材・展開は既存のものをそのまま活用し、導入・終末において、補助教材を自分で一つ準備します。
- C.より、自分らしさを求めるなら、中心発問をオリジナルにします。(中心発問の簡単な作り方はここでは省略)そうして、どんどんオリジナルの部分を増やすことです。
補助教材を自作することをお奨めします。
- 授業を毎週することは、授業理解が進み、授業が簡単にできるようになる一番の策です。ただ、既存の読み物資料は、学年の位置づけがありますので、繰り返すことになりにくく自分のものになりにくいことが多いです。(既存教材は、普通、6年に1回の活用です)
- 自作教材の場合、補助教材も中心教材も、扱い方の工夫で、学年の幅が広がりますから、毎年のように扱えます。当然、準備も扱い方も上手くなり、貯金(十八番教材)になります。その努力は実を結びやすく、又、研究意欲につながります。
- 自作教材は、何回か作り出すと、生活の中で幾つも教材になることが見えてきます。私は、今も町のポスターを前にすると、常に道徳の時間に使えるか否かの視線でとらえます。先日も通りがかりのお店に飛び込み、「大学の授業で使いたいのです」と、一枚のポスターをいただきました。
- 当初は、中心教材ではなく補助教材をお奨めします。補助教材は、作成にも扱いにも中心教材以上に負担がかかりませんし、毎年のように扱えます。1年で複数回扱うことも可能です。
- オリジナルは貯金。既存教材は生活費と考えればよいかと思います。しかし、オリジナル作成は大変難しく感じる方も多いとは思います。ですが、やろうと思えば簡単に作成でき、決して難しくはありません。レベルを下げることなく、将来的に質問の「簡単にできる方法」につながると考えています。
漢字「優」での終末は、20年ほど前に作り、今も扱っています。1年から6年まで実践済みですし、大学での授業でも好評でした。
……優のつくりの部分の意味を知っていますか?……「うれい」と読みます。
憂(うれい)は、心配や悲しみという意味があります。今日はみんなで一郎君の悲しみを感じました。みんな、ますます優しい人になったということです。悲しみ(憂)を知る人(イ)が優しい人なんですから。
こんな漢字補助教材の貯金がいくつかあれば、毎年扱え、授業準備が簡単になり、その扱いもうまくなり、授業が楽しみになります。
京都文教大学 毛利豊和
Q
「議論する道徳」って難しく感じるのですが。どうすればよいでしょう。
2017.07.05 / 授業の進め方
回答者:京都文教大学 毛利豊和
A
普段の授業で議論が成立していますか?していないなら、難しいことです。どの授業においてもそれぞれの目標があり、議論はそのための授業方法の一つです。また、全国的に理解されていないとする道徳の時間(H25.12.16 文科省:道徳教育の充実に関する懇談会報告より)での実践は、より難題であり、指導方法が目的化し、道徳の内容が後回しになることは予想できることです。
本来は、全授業で取り組むべき内容ですが、議論する道徳の時間を意識した工夫を紹介します。(今回は活発な議論が成立していない学級を対象とした実践の紹介です。)
- 授業意欲を高める。(多様な教材を扱う)
思わず意見を出したくなる意欲的な授業は、発問以上に教材の力が大きい。教材の力は発問に比べ、指導力に左右されるところが少ないためです。中心教材ではなく補助教材の扱いにすると、気楽に多様な教材で取り組め、授業意欲を高めます。 - 授業を安心の場にする。(第3者としての発問を中心とする)
「自分ならどうする」発問は、行為をイメージし、発言に責任を感じ、口を閉ざす可能性があります。従来から中心であった第3者としての発問は、人前で話すことが難しい子どもには、自分ではないことが周知された安心した雰囲気の中で思いを出すことができます。 - 授業を温める。(単純発問で意図的に扱う)
思わず発表したくなる発問のレベルアップが目指すところではありますが、簡単なものではありません。研究し尽くされた既存の教材の既存の発問は素晴らしいもので、どんどん活用すべきです。話ができやすい学級の雰囲気作りが優先であり、「登場人物は誰ですか」等の単純発問で、教室の空気を柔らかくします。 - 授業の進め方を共有する。(スキル道徳でその意図を共有する)
エンカウンター道徳で「聞く・話す・話し合う」のスキルを学習。スキルでつける力よりも、「話合いは聞き手が大事。道徳の時間も同様。」と、道徳の時間をみんなで共有することが重要です。聞き手重視で、安心の授業づくりに又一歩進む。それが議論へ繋がります。 - 議論することになれる。(発問を児童の意見からつなげる。)
「今の意見についてどう思いますか?」「私は、……。」
「その意見についてどう思いますか?」「僕は、……。」
それについて、どう思いますかを繰り返す。もちろん、毎時間ではなく、計画的に進め、議論する集団力を上げる。ここでは特に「聞く→思いを持つ→話す」の流れを学級集団として、意識します。 - 議論を支援する。(意図的指名を効果的に扱う)
議論が深まるよう、児童の思いを予測し、意図的に指名する。この時、議論を深めることを意識するだけでなく、議論が流れることにも留意。集団経験として議論がスムーズに流れる経験もポイントです。 - その他、実践してきた内容
○ディベート的な授業展開で
○ノート学習を生かして議論に
京都文教大学 毛利豊和
Q
教科化に伴い、教科書を使って授業することになりますが、これまでに授業で使用してきた地域資料はどのように、またどの程度扱えばよいのでしょうか?
2017.07.05 / 特別の教科「道徳」(全般)について
回答者:上福島小学校 校長 坂部俊次
A
平成30年度から、小学校では「特別の教科 道徳」になりますから、子どもたちには検定済みの教科書が支給されます。年間35時間(1年生は34時間)の35教材と、教科書によっては補助教材が数時間分プラスされて収められているでしょう。35の本教材を学習することで、子どもたちはその学年の道徳科を履修することになりますが、本教材と補助教材を差し替えて学習することも考えられます。さらに35時間は、標準時数ですから、それ以上学習することもありえます。
同じ考え方で、いままで使ってきた地域教材や自作教材も学習することで道徳教育の効果があがると見込めるのであれば、差し替え教材として扱うとよいでしょう。また、差し替える本数は学校の方針でよいのですが、教科書にある補助教材の数くらいを目安にしてはどうでしょう。いずれにせよ、道徳科の目標を達成できるめあてと学習展開を伴った教材と差し替えることが、絶対条件です。平成30年度に、自校の年間指導計画を、採択した教科書主体のものに改訂することになります。その折に、「学校長の方針のもと、道徳教育推進教師を中心にして」、学校全体で共通理解して、効果的な地域教材や自主教材を採り入れた年間指導計画を作成してください。
上福島小学校 校長 坂部俊次
Q
「特別の教科 道徳」では、どのような子どもを育てていけばよいのでしょうか。
2017.06.06 / 特別の教科「道徳」(全般)について
回答者:前姫路市立城西小学校 校長 新井浩一
A
教科化になっても、これまで同様、道徳の時間が徳目主義に陥ったり、良いことしか言えない時間になってしまったりしないよう留意しなければなりません。
「考える道徳」が標榜されるこれからの道徳は、一言で言えば、道徳的価値について“よく考える子”を育てようとしていると理解すればよいのではないでしょうか。よく誤解されるように、善い行いをする、いわゆる「良い子」を育てようとしているのではありません。多様な価値観がある中から、人としてよりよい考え方や行動を自身で導き出せるよう、よく考える子を育てようとしているのだと捉えるのが妥当ではないでしょうか。
授業の進め方で言えば、これまでやや批判的に指摘されることのあった、いわゆる“読む道徳”からの脱却も図っていく必要があるでしょう。教材の中の登場人物に寄り添い、その心の変容を手がかりに道徳的価値について考えさせるだけでなく、子ども自身が、「そういえば、自分にもそんなことがあったぞ。」という気になるような流れを作り、道徳的価値を自身の課題として考えさせる工夫が求められます。
そのため、道徳の時間では、価値についてちょっと難しいぐらいのことを子どもたちに考えさせるよう仕組むべきではないか、と指摘する研究者もいます。
いずれにしても、教師の力量は、これまで以上に求められることになるでしょう。指導書どおりに進めればよいということではなく、子どもの発達段階に応じた道徳的価値の捉え方や、問題解決的な学習の問題そのものが何なのかを明確にして授業に臨む必要があります。当然、学年教師間の共通理解もより重要になるのは言うまでもありません。
前姫路市立城西小学校 校長 新井浩一
Q
「考え、議論する道徳」の授業とはどのような授業になるのでしょうか。
2017.06.06 / 特別の教科「道徳」(全般)について
回答者:前姫路市立城西小学校 校長 新井浩一
A
中央教育審議会をはじめ、平成25年度から継続されてきた道徳教育の充実方策を議論する国レベルの諸会議では、「対話的な学び」「主体的な学び」「深い学び」の三つの学びを重視する方向性が打ち出されました。(中教審 企画特別部会より)
中でも、“考える道徳”というキーワードと、「深い学び」が意図するところは密接な関係があるように思います。
今まで考えたこともなかったけれど、みんなと一緒に考えたから新たな自覚につながったというような「学び」を大切にする授業。つまり、道徳的価値について、一人で教材を読んでもわからなかったことが、みんなで読み考えたからこそ気づき、わかったというような授業をめざすという意味であろうと思われます。
当然のことながら、そのような「学び」に至る過程では、教師と子ども、あるいは子どもと子どもの間に自由闊達なやり取りがあり、多様な考えが認め受け入れられる土壌がなければなりません。また、教師による十分練られた発問構成や子どもの発言に対する巧みな“さばき”や“切り返し”なども効果的に行われる必要があるでしょう。
道徳の時間は、教材の読解が目的ではなく、道徳的価値について子どもたちが考えを深める時間であるということを改めて念頭におき、そのような授業を実現しなければならないということです。
そして、授業の終わりには、子どもたちが自分なりに「そうか、○○○○だから□□□□が大切なんだな。」と気づきをワークシートに書き込んだり、発表したりできることをめざしていきたいものです。
前姫路市立城西小学校 校長 新井浩一
Q
道徳の時間の板書は、どんなことに気をつければよいのですか。
2017.06.06 / 授業の進め方
回答者:前姫路市立城西小学校 校長 新井浩一
A
電子化が進む学校現場にあっても、まだまだ、板書は重要な役割を担っていると言えます。その機能は、およそ次のようなものです。
- 学習のねらいや課題を表記し、子どもたちの学習への意識を高める。
- 子どもたちの発言を整理・分類し、課題解決への道すじを視覚化する。
- 学習してわかったことなどを明示し、学習結果を共有する。
道徳の時間においても、それは同様です。
板書はもう一つの授業記録と言われます。研究授業などの事後の話し合いの際に、授業を振り返る重要な資料として、逐語記録と併せて板書の記録や写真が提示されるのはそのためです。
つまり、授業の巧拙も含め、板書を見ればその時間の学習の大要が見て取れるのです。逆に言えば、いい授業をするには、事前の板書計画も疎かにはできないということです。
そのためには、以下のような事がらに配慮する必要があるでしょう。
- 子どもの発言をそのまま書かず、要約や大事なキーワードのみを記す。
- 登場人物の気持ち、変容の様子、学習者である子どもたちの考えなどを区別して表記する。また、線や矢印などを用い関連性の視覚化につとめる。
- 黒板全体のバランスを考え、板書の位置、チョークの色分け、挿し絵や短冊などを貼付する箇所を工夫する。(予め用意した短冊の多用は避けたい。)
- 授業の終末段階で、子どもたちが道徳的価値について、新たに気づいたことや考えが深まったことなどを表記する。
板書も授業を構成する重要な要素であることを、改めて心したいものです。
前姫路市立城西小学校 校長 新井浩一
Q
普段の生活指導で道徳的な内容を口にすることが多いのですが、それは価値の押し付けにならないのでしょうか。
2017.06.06 / 特別の教科「道徳」(全般)について
回答者:前姫路市立城西小学校 校長 新井浩一
A
好むと好まざるに関わらず、教師の言動や立ち居振る舞いは、道徳教育と深くかかわっていると言えるでしょう。それは、教師自身が完全無欠の人間でなければならないという意味でも、常に道徳的な言動を心がけていなければならないという意味でもありません。
ただ、子どもたちが人間として成長する過程で、そのことに大きく関わっていく立場にいる者として、当然、子どもたちに自分自身でよりよい生き方を身に付けてほしいと願うのは、極めて自然です。そのため、日常的な子どもとのやり取りの中に、道徳的な内容が多くを占めるのも無理からぬ話です。
忘れてはならないのは、教師自身も同じように、よりよい生き方を探し求めている一人の人間であるという視点です。その意識があれば、子どもたちに徳目を押し付けたり、逆に、現実に流され不道徳を許してしまったりすることはないでしょう。
道徳の時間に教材を使って価値について深く考えたことは、日常生活での判断基準によい影響を及ぼすことが期待できますし、日常生活の中で生起する様々な事象への問題意識が、道徳の時間での議論を活発にすることにつながるはずです。
教師は、こういった相互関係を意識しながら、道徳的な内容について意図的・継続的に子どもたちに投げかけていくべきだと強く思います。
前姫路市立城西小学校 校長 新井浩一
Q
「道徳に係る成長の様子を継続的に把握」するとき、評価の蓄積を具体的にどのようにして行うべきでしょうか? また、そのように見取った子どもの成長を通知表で子どもや保護者にどのようにして返し伝えるべきでしょうか?
2017.06.06 / 評価
回答者:京都文教大学 毛利豊和
A
【はじめに】
評価については、道徳科として、改訂の具体的な部分なので、多くの方が心配されていることです。また、その声に応えるかのように、評価の理解も含め、文例が数多く出されています。しかし、今も尚、現場からの不安な声が多いということが現実です。
指導要領には、「児童の学習状況や道徳性に係る成長の様子を継続的に把握し、指導に生かすよう努める必要がある。ただし、数値などによる評価は行わないものとする。」と明記されています。また、指導要領解説には、道徳科に関する評価として、「数値式ではなく、記述式……相対評価ではなく個人内評価……内容ごとではなく大くくりのまとまり……」等、具体的に明記されています。(小学校学習指導要領解説 特別の教科 道徳編 H27.7文部科学省P105参照)
明記されているにもかかわらず、不安な声が多いのはなぜでしょうか。記述表現は、現行の規定が分かりにくいと指摘されたことを受け、簡潔な表現になっており、内容が理解しにくい表現が原因とは考えにくいことです。
様々な文献・研修・講演・同僚との情報交換……それでも不安である、というのが現実です。
道徳の授業について、一定の共通理解があるという前提の上で、話が進んでいるとすべきところでしょうが、現実はそう安心できるものではありません。以前よりの道徳教育・道徳科の目標や指導の在り方等が一定の理解不足のまま進んでいることが原因と考えられます。まずは、評価の意義・方法以前に、道徳教育・道徳科の目標及び進め方を指導者一人ひとりが確かなものにすることが先決です。その上でのQの評価の蓄積と通知表の明記の仕方となります。
具体的な表記方法に気をとられがちですが、評価者一人ひとりが道徳科の時間をどのようにとらえているかを重視しましょう。そこで、ここに確認しておきます。
道徳教育及び、道徳科の目標は、道徳性の育成です。しかし、道徳性の育成といっても誰もが自信を持って話ができるほど、現場の先生方の市民権を得ている言葉ではありません。道徳性とは、誰もが持っているよりよく生きていこうとする性質です。その質を高めていくことが、目標です。
指導要領の言葉を噛み砕き、分かりやすい表現で、多くの方が解説しています。今回教科になることで、一気に、市民権を得ることになると期待しています。
さて、Qにお答えします。
【その1 まず、視点の確認】
○今までも評価はあったが、今回は、新しく違うものなのか?
「個人内評価をする」「数値化しない」など、基本的に今までと変わりません。しかし、道徳科に改訂されたわけですから、改訂を生かす意味でも、その違いを意識して進めるべきです。
質問にありますように、子どもや保護者への伝え方で改訂意識を高めることは大事なことです。そこで、通知表の記述内容において、以下のノートと自己評価の2点をお奨めします。
【その2 毎時間のノートと学期末の自己評価】
学期末に、道徳科の時間で「最も印象に残ったのは、どの授業でその理由は」の自己評価が効果的です。これは、子ども自身が自分の内面と触れた内容であった授業と判断できます。その内容について、ノート(授業の様子も加味)から考察・評価し、通知表の記述内容とすればよいでしょう。ノートによる一人学習は今までと同じように毎時間することは大事です。ただ、自己評価欄の処理を含め、毎時間の煩雑さは避けるべきです。現実の多忙感を軽く見ることは非現実的です。子どものまとめノートから、様々なことを見抜き考察し、次の指導に生かす指導力がプロとしての身に着けたい力です。
【その3 評価の醍醐味】
道徳科の時間は、内面を見つめる時間(指導要領解説より)ですから、非日常的な時間と言えます。普段見られない姿が見えるわけですから、その点が内面の姿と言えます。新しく感じたり、変容したりと感じる点はそもそも心の底に持っていた点であるのかもしれません。ですから、変容という言葉を使うことも正しくはないのかもしれません。
また、その指導が、注入型であっては、指導の成果としての色が強く出ることでしょう。子どもの心を引き出す抽出型の指導であれば、子どものもともとの力を評価する表現になります。この意識を確かなものにしておきましょう。
道徳科の時間の評価をするにあたって、道徳科の時間とは、
☆子どもが、自分の内面を見つめる時間である。
☆子どもが心を使い、もともと持っている心を整理し、引き出す時間である。
このことを前提にした上で、普段見ることができなかった子どもの姿(非日常的な姿)を見つけることが、道徳科の評価の醍醐味です。
【その4 Qの評価の蓄積と通知表の表現:まとめ】
- 毎回の一人ノート学習を評価の蓄積資料とする。もちろん、印象に残った子どもの授業での様子は、書き留められる範囲で残します。しかし、なくても可。
- 学期末に、下記アンケートをとり、自己評価資料とします。
- 上記2.から、通知表記述教材を選択し、1.からその教材に係る評価をし、記述します。
【その5 アンケート内容例】
- Q1.今学期の道徳の授業で、最も大事と思った教材は何でしたか? その理由は?
( )(理由 ) - Q2.今学期の道徳の授業で、最も楽しいと思った教材は何でしたか? その理由は?
( )(理由 ) - Q3.今学期の道徳の授業で、つまらないと思った教材は何でしたか? その理由は?
( )(理由 ) - Q4.今学期の道徳の授業で、もう一度したいと思った教材は何でしたか? その理由は?
( )(理由 )
上記アンケートから、通知表に記述すべき教材を決め、ノートと、授業の様子を評価します。
<例>
教材「橋の上のオオカミ」では、自分自身の小さい子への優しさに気付いたようです。優しい自分に気付いたことが嬉しかったようで、その日の休み時間に「先生もあみ子のこと優しいと思う?」と聞いてきたことがとても印象に残っています。自分の優しさを実感し、自信を持てたようです。
【その6 通知表以外の評価等のお知らせ】
当然のことですが、1学期間(10~15回の授業)の評価としては通知表の評価スペースは大変少ないものです。通知表だけでなく、多様なお知らせを意識しておくことです。機会があればタイムリーに、通知表同様の評価をお知らせします。それが毎週の道徳科の時間の効果と充実の力となります。また、道徳教育の理解と啓発になります。
<評価のお知らせ機会:各個人>
- 連絡帳・立ち話
- 家庭訪問・個人懇談会
- 毎時間のノートの先生からの返事
<評価のお知らせ機会:全体>
道徳科の時間の理解全体の傾向をお知らせすることも保護者や子どもたちへの人間理解・他者理解・集団理解からの自己理解等の日常の指導支援となります。
- 日常的な学級便り・学校便り
- 学級懇談会
このように評価のお知らせを通して道徳教育を広めることで、評価が道徳教育理解における啓発のリーダー役になることを期待しています。
京都文教大学 毛利豊和
Q
道徳の時間にどんな教材を選んだらいいのか迷うことがあります。そんな時、どうすればよいのでしょうか。
2017.05.10 / 教材・教具
回答者:前姫路市立城西小学校 校長 新井浩一
A
各学校では、道徳教育の全体計画に基づき、道徳の時間の年間指導計画が定められています。これらの計画は、学校や地域の実情、そして何より子どもの実態を勘案しながら毎年見直され、より実効性のあるものになるよう工夫が凝らされています。
各学年の教材も、内容項目の系統性や学習の順次性などを考慮したうえで定められ、年度ごとに見直しますので、年度初めには一年間の教材が確定します。従って、本来、担任教師が道徳の時間の教材に迷うことはないはずです。しかし、授業で扱う内容項目と計画にある教材とがマッチしていない場合には、授業者として苦慮することがあるのも事実です。
授業が学習者と教材と教師の三者の有機的な関わり合いによって成立するものであることから考えれば、よりよい教材を……と願う気持ちは理解できます。ただ、担任教師の思いだけで教材を差し替えるのは、上述した教材選定の経緯から考えても得策ではありません。以下のような要件を満たしているかどうかを学年教師で十分検討する必要があります。
- 授業のねらいや子どもたちの学習状況に照らし、合理的な差し替え理由があるか。
- 複数の教師の目で見て、差し替え教材が適性を有しているとの確認が得られたか。
- 次年度の年間指導計画の改訂への適正な助言・説明ができるか。
道徳の授業において、教材は極めて重要な役割を果たします。それだけに、学校・学年で常に最適なものを用意できる態勢を整えていきたいものです。
前姫路市立城西小学校 校長 新井浩一
Q
子どもの興味・関心を高めるためには、どのような導入の方法がよいのでしょうか?
2017.05.10 / 授業の進め方
回答者:前姫路市立城西小学校 校長 新井浩一
A
学習への意識を喚起し、ねらいに迫る展開へと子どもたちを導くために、導入の工夫はとても大切です。
これまでよく見られる導入を分類すると、およそ次のようになると思われます。
- これまでの生活体験から思いや考えを想起させ、学習前の価値観を確認する。
- 関連ある社会事象などを紹介し、本時の学習への意識を高める。
- インパクトのある問いかけや資料等の提示により、子どもたちの道徳的価値に揺さぶりをかけ、学習への興味づけをする。
いずれも、道徳的価値について、他人事や絵空事ではなく、自分自身の課題として捉えさせたいという教師の意図がうかがえます。
ただ、気をつけなければならないこともあります。一つには、一人一人の子どもの生活実態や経験値に個人差があることを踏まえ、教師の補足説明など、配慮が欠かせないということ。二つには、時間的な制約のある中で、子どもたちの興味・関心が教師の意図とは異なる方向に向いてしまわないよう留意することなどです。導入はあくまで導入であることを忘れてはいけません。
また最近では、導入時に本時で扱う道徳的価値を明示する手法も見られるようです。この場合においても、その方法が、文字どおり本時の導入として最良の方法かどうかという観点で吟味し、お決まりのパターンとして形骸化しないよう気をつける必要があるでしょう。
前姫路市立城西小学校 校長 新井浩一
Q
授業で子どもたちの道徳的価値が深められたかどうか、手ごたえが感じられない時があります。何が足りないのでしょう?
2017.05.10 / 授業の進め方、評価
回答者:前姫路市立城西小学校 校長 新井浩一
A
授業の成否という点で、教師にとっては大変気になるところですが、子どもの心に響く授業をめざすことは、授業者である限り逃れられない命題です。
まず、教師が授業で手ごたえを感じる時の指標や条件をいくつか挙げてみましょう。
その一つは、何といっても子どもたちの表情や発言量などに表れた反応の良し悪しでしょう。目を輝かせ、多くの子どもたちが臆することなく自分の意見を発表する授業は、日頃の学級づくりの成果として評価に値します。
しかし、授業の手ごたえということから言えば、それだけでは不十分です。もう一つの指標として、子どもたちの発言の質を見る必要があります。つまり、友達の意見を聞いて視野が広がったり、自分と異なる意見から考えが深まったりしたことを交流し合い、発言の中身が質的に高まっているかどうかが大切なのです。
道徳の時間は、子どもたちが気づきかけている道徳的価値について、より広く、より深く考えるようになることをめざす時間です。そのために、教師は子どもたちの発言を交通整理したり、適宜、大事な発言やつぶやきを取り上げ、学級全体に投げ返したりすることで、子どもたちの道徳的価値についての「学び」の深まりを導いていかなければなりません。それが、いわゆる"考える道徳"の具現化につながると考えます。
授業者としての手ごたえは、このような学習の過程で感じられるものなのです。そして、そのための前提として、本時で扱う道徳的価値への教師の考えの深さが影響するということも忘れてはならないでしょう。
前姫路市立城西小学校 校長 新井浩一
Q
道徳の時間にやっていることが、子どもの実態に合っているのか悩むことがあります。
2017.05.10 / 授業の進め方、評価
回答者:前姫路市立城西小学校 校長 新井浩一
A
道徳の時間での学習が、子どもたちの生活実態を変えるところまでには至っていないことからくる焦りや無力感は、昔から教師が持つ悩みの一つです。
しかし、一度や二度道徳の授業をしたからといって、すぐに子どもの態度が変わるなどということはありません。
ただ、きちんと道徳の授業を積み重ねているのに何の効果も表れないと教師自身が感じているのであれば、それはどこかに改善すべき課題があると考えるべきでしょう。
多くの場合、それは、授業の進め方や教材選定などに原因があることが多いようですが、そのもとにある道徳の時間の“授業観”のようなものが、学校(学年)内で共有されていないことに起因していることも考えられます。
つまり、「道徳の時間は何をする時間なのか。」といった根源的な話です。というのも、子どもの実態を語る際には、往々にして、子どもの行動や態度など目に見える事象のみを指していることが多いからです。
道徳の時間に育てるのは、道徳的な心情や価値に対する子どもたちの考えです。むしろ、憂慮しなければならないとすれば、年35時間の道徳の時間で、その部分がしっかりと育てられているかどうかということではないでしょうか。今後の道徳の評価とも関係する大切な視点です。
その上で必要があれば、年間指導計画の見直しの際に、扱う内容項目の重点化を検討するなどの方策を考えてみるのもよいのではないでしょうか。
前姫路市立城西小学校 校長 新井浩一
Q
道徳の時間での発問が一問一答式になりがちです。広がりや深まりのある発問をするにはどうしたらよいのでしょうか。
2017.05.10 / 授業の進め方
回答者:前姫路市立城西小学校 校長 新井浩一
A
道徳の時間では、その時間で扱う道徳的価値について、子どもたちの考えを深め、主題やねらいを達成させるため、授業の核となる教師の問いかけとして中心発問を設定します。そして、その辺りが授業の山場になります。
しかし、お話教材などでは、登場人物の人間関係や状況確認、さらには、心の変容などを追いかけているうちに時間が足りなくなり、肝心の道徳的価値について十分な意見交換ができなかったということが時々あります。このような授業で、いわゆる一問一答式の平坦なやり取りが比較的多いのも事実です。
授業は、教師と子どもが言葉を介して互いの思いや考えをやり取りすることで成立しますが、それは、決してキャッチボールのように1対1である必要はありません。一問多答、あるいは、子どもどうしの議論により課題解決に近づくという形も大いに結構です。
特に、授業の山場では、子どもの発言の背景にある思いや考えを顕在化させるため、「どうしてそう思ったのか、もう少し詳しく言ってくれるかな。」と問い直したり、「みんなはそのことをどう思う?」と学級全体に投げ返したりすることで課題の共有化を図るなど、考えの広がりや深まりを促す働きかけが大切です。
授業における教師の役割とは、このように子どもの発言や思考を交通整理し、ねらいへと導くことなのです。これからの道徳の時間で重要視される対話的な学びも、こうした教師の巧みな働きかけによって生み出されます。いわゆる“考える道徳”を可能にするには、これまで以上に教師の力量が求められます。
前姫路市立城西小学校 校長 新井浩一
Q
道徳の授業を構想する段階で、最も大事にしなければならないことは何なのでしょうか。
2017.05.10 / 授業の進め方
回答者:前姫路市立城西小学校 校長 新井浩一
A
ずばり言えば、まず教師が教材を何度も読み返し、そこに内在する道徳的価値について、深く考察することではないでしょうか。主題設定や本時のねらいも、この段階の思索が浅ければ焦点がぼやけますし、その結果、授業中の発問もぶれ、子どもたちの考えが深まらない上滑りなものになる恐れがあります。
時々、優れた教材なら、教師があれこれ言わなくても、子どもたちはそれなりに道徳的価値に気づいているのではないか、などという意見を聞くことがあります。しかし、それでは授業をする意味がありません。
確かに子どもたちは、それまでの生活経験や学習によって、自分なりの道徳性を持ち合わせてはいます。道徳の授業を重ねるのは、そこに“新たな学び”を生み出し、道徳的価値についてさらに深く考えるようになってほしいからです。
そのためには、授業の構想段階で、学年の発達段階や子どもの実態と扱う道徳的価値とをしっかり分析する必要があります。例えば、「勇気」を扱った教材で授業をするのであれば、「勇気」のどんなことを子どもたちに考えさせたいのか、具体的なプランを持ち合わせていなければなりません。
漠然としたねらいに基づき、教材を読んだ子どもたちの反応や意見のみをたよりに、手探りで授業を進めることは、最も避けたいものです。学年教師との日常的な会話や打ち合わせを通して、教材と子どもたちとの出会わせ方や意図的で効果的な授業の仕掛けなど、授業構想の精度が高まっていくことを期待したいものです。
前姫路市立城西小学校 校長 新井浩一
Q
道徳教育と道徳の時間とは、違うのですか?
2017.05.10 / 特別の教科「道徳」(全般)について
回答者:京都文教大学 毛利豊和
A
違います。
ここで、道徳の時間を中心に二つの内容を整理しておきます。(詳しくは学習指導要領を)
道徳教育:
[実践の場・時間]学校教育全般
[実践イメージ]力をつける場、心を美しくする場、心をたくましくする場
道徳の時間:
[実践の場・時間]週一回 45分
[実践イメージ]持っている心を引き出す時間、心を使う時間、心を整理する時間
[目標]は「道徳性の育成」で共通
<補足>道徳性の育成:よりよく生きていこうとする力を育てること
道徳の時間は、子どもの心を引き出すことを中心とした抽出型の授業です。誰もが既に持っている心を「使う・整理する」時間です。子どもたちの心は、既に形になっています。6歳の子にも6年間の歴史の中で培ってきた唯一無二の心があります。1週間10080分のうち週1回の45分の道徳の時間で、教師が「新しいことを教え込もう」としたり、また「逆転させよう」などとしたりすることは、おこがましく大変なことで、効果的ではありません。だからこそ抽出型なのです。すでに心の中にあるものを引き出すことなら、その指導の効果は、期待でき、現実的です。心を使い、整理し、自分を見つめなおす調整・再認識の時間が道徳の時間です。その調整・再認識が、日々の生活の場で、効果的に作用し、意欲や判断力を高めます。そして、その実践の場が道徳教育の場です。
抽出型の道徳の時間は、子どもたちの「今を認めること」から始まりますから、本来、子どもたちにとっても指導者にとってもストレスが少なく、気楽に温かい気持ちで進めることができます。今を認めるポイントは、行動に光を当てるのではなく、その気持ちや思いに光を当てることです。優しさも正義感も誰もが望んでいることです。その望んでいる気持ちに光を当てることで、「私も優しいのか……。」と、心の底にあったものが、すーと上がり、表に出てくるのです。また、「優しくすることを大事に思っている自分」に気づくのです。
このように道徳の時間に自己を見つめ直した温かい気持ちが、日々の生活を一層元気にしてくれます。
京都文教大学 毛利豊和
Q
道徳の時間が大事であることを、子どもたちにどのように伝えたらよいのでしょうか?
2017.05.10 / 授業の進め方
回答者:京都文教大学 毛利豊和
A
わざわざ伝える必要はありません。
道徳の時間が、「元気が出た」「自分に自信が持てた」「人のことが理解できた」と、このような経験を重ねる時間になっていれば、子どもたちは、道徳の時間が大事であることを理解しますし、あえて説明する必要はありません。しかし、道徳の時間の意味を伝えることも子どもの意識を確かにし、授業効果を上げる手助けにもなります。授業の中で子どもたちに話した実践を紹介します。
- 友達のノートから、「いつもやんちゃな博君がそんな優しい気持ちを持っていたなんて」「おとなしい秋子ちゃんが、そんなことを考えていたなんて」……初めて知った人が多かったのではないでしょうか。友達の心を知ることも道徳の時間です。(他者理解)
- 今日の「妖怪に学ぶ」では、昔の人の知恵のすごさを感じたことでしょう。妖怪を子どもの躾に使い、それが今もなお活かされ、ゲゲゲの鬼太郎の人気となっている。もちろん、鑑真もヘレンケラーもすごい。人の知恵や人の生き方から学ぶことも道徳の時間です。(先人に学ぶ・偉人に学ぶ)
- 今日は、登場人物の道子さんのことを心配し、よく考えました。「自分は優しい気持ちを大事にしている」ことも改めて感じたことでしょう。自分の心を整理し、自分を見つめなおすことも道徳の時間です。(心の整理・自己理解)
- 一つのリンゴも、見る人によって違って見え、多様なものの見方があることを知りました。そうした力があってこその人間理解です。それが今日のテーマ「寛容の心」の基であったことも感じたことでしょう。これも道徳の時間です。(多様性)
- きれいなリンゴを見て、まさか裏側がかじられているとは思わなかったでしょう。人間はそうした見通しをもったり、勘違いしたりすることがあることを確認できました。人間理解も道徳の時間です。(人間理解)
- 今日の教材アニメ「ドラえもん」では、泣いていた人が何人かいました。先生だってそうです。心がきゅんとなりました。心を使うことが道徳の時間です。(心を使う)
道徳の時間の意味を知った子どもたちは、道徳の時間を楽しむとともに、道徳の時間を大事にします。
京都文教大学 毛利豊和
Q
1時間1教材と考えてよいのでしょうか。弾力的扱いはどこまでできますか。
2017.03.06 / 授業の進め方
回答者:上福島小学校 校長 坂部俊次
A
道徳科は週1回1時間ですが、中心となる教材の扱い方によっては、1時間ではおさまらないこともでてきます。そこで弾力的な扱いについてみてみましょう。
例えば、地域の方のお話を聞く中でねらいに迫っていこうとしますと、1時間ではむずかしいと思われます。1時間、地域の方のお話を聞いて感想を少し述べて授業を終わってしまうのは、道徳科の授業としては望ましくありません。あくまでも、地域の方のお話を中心教材として、その内容に関わって子どもたち同士で話し合い、ねらいに迫っていくことが道徳科の趣旨です。
そこで、高学年や中学校では地域の方に1時間話していただいた後、その内容に関わって価値を追求していく2時間扱いの授業が効果的でしょう。
過程 | 学習活動 |
---|---|
導入 |
|
展開 |
|
終末 |
|
上のような指導過程が考えられます。それぞれの段階での留意点について考えましょう。
導入では地域の方がより身近になるように、地域の方の紹介を位置付け、互いの心の交流を図ります。
地域の方の話の内容には価値がいくつも含まれていることが多いので、価値への導入を図ります。
地域の方にはたっぷり語っていただきますが、事前の打ち合わせとして、この時間のねらいやどんな内容をどんな手順でお話されるか、キーワードは何かを明確にしておきます。
地域の方の語りのキーワードをもとに、価値の追求・把握をしていきます。
そしてとらえた価値から自分を見つめさせていきます。
終末では、教師の話ではなく地域の方に、授業をみていただいて感じられたこと(子どもの感じ方や考え方のすばらしさ、変容)を語っていただき、子どもたちの実践意欲を高めます。
上福島小学校 校長 坂部俊次
Q
導入や終末には、どんな話をすればよいのでしょうか。
2017.03.06 / 授業の進め方
回答者:上福島小学校 校長 坂部俊次
A
導入について考えてみます。一時間の授業でねらいを達成することを考えると、導入にはあまり時間がかけられません。そこで、導入では価値への方向付けの工夫が必要になります。道徳科の基本的な学習指導過程では、生活―資料―生活という流れが多いのですが、価値への方向付けを短時間でするために、生活導入ばかりでなく読み物教材の内容に応じて導入のあり方を考える必要があります。
具体的に、読み物教材の内容による導入の仕方を考えてみましょう。
1.読み物教材を一読すれば、本時で扱う価値の内容がわかる場合
主人公の紹介や葛藤を簡単に示して、直接読み物教材を扱い、問題の発見や論点を見つけやすくし、価値追求や自分を振り返る時間を十分に確保していきたいです。
2.読み物教材の背景や用語が理解しにくい場合
高学年や中学年の読み物教材には、時代背景や地域のようすを説明しないとわからないものがあります。用語を導入で説明したり、写真や絵を提示したりする工夫が必要になります。
3.読み物教材を一読しても、扱う価値が分かりにくい場合
教材を読む前に、本時のねらいにかかわる生活場面を紹介したり想起したりして価値への方向付けを図ります。ただし、時間をかけすぎると価値追求や自分を振り返る時間がなくなります。また、マイナス面を振り返ることも、学級の雰囲気が重くなり、子どもたちが生き生きと価値追求することができなくなります。
1と2は、いわゆる「教材への導入」、3は「価値への導入」と呼ばれることもあります。1時間の授業で導入の時間を考えると2~3分程度で扱い、ねらいに迫るための時間を十分に確保しようとすると上述のような工夫をしていかなければなりません。
終末は、学んだ道徳的価値への思いを心に留め、発展させていくために、ねらいとする価値のまとめ・整理をする目的があります。学年段階や学級経営の状況にもよりますが、教師の体験談が子どもの心によく残ります。ただし、話の内容は子どもの発達の段階にあわせるべきです。また、作文やことわざ、格言なども使われます。
上福島小学校 校長 坂部俊次
Q
学校教育全体で行う道徳教育の要としての道徳科をどう進めるとよいでしょうか。
2017.02.20 / 特別の教科「道徳」(全般)について
回答者:上福島小学校 校長 坂部俊次
A
毎週1時間の道徳科と、教科や特活などの学校生活との関わりを子どもがつかんでいるとさらに、子どもたちの心の高まりが期待できます。週1時間しかない道徳の時間だからこそ大切にして、確実に道徳の時間が行われていくように工夫しましょう。
1つ目の工夫として、明日の予定に「第○回道徳」と書いて、道徳の授業を実践していきます。学級活動は、「第○回学級会(活動)」になっていると思います。道徳も学級活動のように回数を入れて、「第○回道徳」と書いて実践していくことは、教師自身が確実にやっていかなければならないことを自覚することにもつながっていきます。
2つ目の工夫として、全校で同じ時間に道徳の時間を行います。「水曜日の2時間目に一斉に行う。」と決めていけば、授業として欠けがちな月曜日に位置付けることはありません。また、全校一斉に行えば、年間指導計画に基づき、学年会でもねらい・資料分析・展開の大要・基本発問等に関わって話し合うことができ、よりきめ細かな授業を行うことができます。さらに、管理職は全校を参観する中で道徳の時間の実態を把握でき、指導に生かすこともできます。
3つ目の工夫として、学級掲示の中に位置付けることです。道徳の重点目標を踏まえた学級目標に向けて具体的に取り組むために、核となる活動や学校行事などを書いた1年間の計画を教室の背面に掲示します。ここに1年間を通して高まった子どもの姿を掲示していき、学級の宝物をつくっていきます。そこで、この掲示をつくるときに学級の重点項目となる道徳の教材名を位置付けていくことも、子どもたちが道徳科でどんな教材を学習するかがわかるとともに、教師が見通しをもってこの教材を扱うことにつながります。
上福島小学校 校長 坂部俊次
Q
体験的な学習は何をすればよいのでしょうか。
2017.02.20 / 問題解決的な学習/体験的な学習
回答者:上福島小学校 校長 坂部俊次
A
道徳科における体験的な学習とは、子どもたちが授業の中で体験的に道徳的価値を考える場面を取り入れた学習のことです。そこでは、動作化(一般的には言葉を伴わない)や役割演技が有効と考えられます。子どもは自分の思っていることや考えていることが言葉でうまく表現することができない場合でも、動作で示すことはできます。子どもの自己表現意欲を満たし、体を動かすことで感じ取れることがあるのが動作化や役割演技です。
役割演技を効果的な体験的な学習とするための留意点をあげます。
- 鑑賞態度を大切にして、自己表現したいという子どもたちの思いを満足させる。
- 演技の上手下手ではなく、表現された内容の感じ方や考え方を自分と比べさせる。
- 演じ合い見合うことで、主体的に取り組もうとする気持ちを持たせる。
- 登場人物になりきることによって主人公に自我関与し、共感できるようにさせる。
- 演技することによって、ねらいとする道徳的価値を体で感じることができるようにさせる。
- 中心場面での主人公の立場を考えさせ、自分の考えていること、思っていることを多面的にしかも内面的に表現できるようにさせる。
- 役割を交代して、逆の立場からのものの見方・考え方を体験し、相手の立場や気持ちを理解できるようにさせる。
上福島小学校 校長 坂部俊次
Q
道徳科と他教科との関連とは、例えばどのようなものを考えたらよいでしょうか。
2017.02.20 / 授業の進め方、評価
回答者:上福島小学校 校長 坂部俊次
A
道徳の時間と他の教育活動との関連についてはよく研究されています。この研究内容をみると、道徳の時間の事前・事後にねらいとする内容項目に関わる体験活動を位置づけたり、そのねらいに関わる道徳性を高めるために教科の内容と関連した指導・援助を具体化したりして、計画的・発展的な指導をしています。
そこで、こうした指導が道徳の時間でどのように生きたのかを検証する必要があります。
例えば、価値把握の場面で基本発問をしたときを考えてみましょう。ここでは、教材内容の場や条件から感じ方や考え方を出したり、キーワードから感じ方や考え方を深め合ったりしていきます。その時、子どもたちに事前の学習でねらいに関わる感じ方や考え方に気づかせていたり、深めていたりすると、価値把握の基本発問でその感じ方や考え方が出てきます。
「生命の尊重」の授業でのこと。この授業の前には、国語で戦争による家族の死を扱い、命のかけがえなさについて考える指導がなされていました。道徳の教材には、死んでいくことの本当のつらさについては十分ふれられていませんでしたが、子どもは主人公がかけがえのない命を大切にしていきたいという発言をする中で、死んでいく人のつらさを訴えました。まさに、教材にはない感じ方や考え方を国語の時間からつないで深めていたのです。
このように道徳科においても、授業者はこのような他教科との関連のもとで基本発問に対して予想される子どもの反応を指導上の留意点として踏まえておく必要があります。道徳科と他の教育活動との関連を大切にし、予想される子どもの反応の中に、子どもが他教科や体験活動で深めた感じ方や考え方がどのように出してくるのか想定しておきましょう。道徳科の評価という観点からも、指導案の中に明記しておくことが大切になってきます。
上福島小学校 校長 坂部俊次
Q
考える道徳、議論する道徳と言われますが、発問の仕方などはどのように変えていくべきでしょうか?
2016.12.05 / 問題解決的な学習/体験的な学習
回答者:上福島小学校 校長 坂部俊次
A
子どもたちの道徳的な感じ方や考え方を深め、広げることが、考え議論する道徳につながっていきます。基本発問をもとに子どもの反応を板書に位置づけ、授業を進めていきます。しかしながら、教師の子どもの反応へのかかわりが弱いために、一人一人の感じ方や考え方に気づかせることができなかったり、深めたり広げたりできなかったりするので、どのような補助発問を用意していったらよいのか考えてみましょう。
ここでは、指導・援助としての補助発問を紹介します。
感じ方や考え方に偏りがあったとき、多様な感じ方や考え方に気づかせる
「それなら迷わないはずなのに、主人公が迷っているのは、他にどんなことを考えていたからだろうか。」
感じ方や考え方が不明確な時、例示をする中ではっきりさせる
「今の考えは、こういう考えなの? それともこういう考えなの?」(板書を示しながら)
感じ方や考え方を具体化して、気づかせる
「今話した考え方について、もう少しくわしく話して」
仲間の感じ方や考え方と比べて自分の感じ方や考え方に気づかせる
「今の考えは、○○さんの考えに近いの? それとも、△△さんの考えに近いの?」
場や条件を示して、その時の気持ちや考えに気づかせる
「主人公は、今、こんな状況(具体化して)だよ。この時の主人公は、どんなことを考えていたのだろうか。」
多様な感じ方や考え方の中から自分の感じ方や考え方に気づかせる
「いろいろな考えが出たけれど(板書を示しながら)、自分はどんな考えが強いのかな。」
具体的な指導・援助の一部を紹介しましたが、指導案をつくるとき、各段階で考え議論させたいことを描き、その姿にむかうための指導・援助としての補助発問を具体化して、授業に望むことを心がけたいです。
上福島小学校 校長 坂部俊次