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小学校「教科担任制」のすすめ -小・中の段差をなくすために- |
園田学園女子大学教授 |
野口克海 |
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●小学校での教科担任制の広がり
中学校や高校のように、教科ごとに専門の教師が授業を行う「教科担任制」を導入する試みが公立の小学校でも広がっている。
小学校での教科担任制が、急に広がってきたのは2002年の1月、新学習指導要領や完全学校週五日制の実施を前に「学力低下」への懸念が高まる中、文部科学省が「学力向上のためのアピール」を発表し、補習や少人数授業などとともに、教科担任制を奨励したことによる。
文部科学省が2002年度に指定した「学力向上フロンティア校」の小学校483校のうち、半数近くの223校がこの教科担任制をモデル事業として実施している。
さらに、2003年度も492校が新たに指定され、制度の広がりが見られる。
また、自治体独自で取り組む市町村もあり、小学校における教科担任制については、その意義、効果や課題について、広く検討していくことが求められる時期にきている。
●5・6年生は立派な思春期
小学校で「教科担任制」が求められる背景のひとつに、子どもたちの成長が年々、早まってきており、個人差はあるものの10歳ごろから思春期を迎えるようになったといわれて久しいことがあげられる。
思春期というのは女の子が女らしい体つきになったり、男の子が男らしい体つきになったり、肉体が大人に近づくことによる心と身体のバランスがとりにくい不安定な時期のことをいう。
社会的な関係においても、それまで親や先生の言うことは絶対という受けとめ方をしていた子が、親や先生よりも友だちを大事にするというタテの関係からヨコの関係に変化することが多い時期でもある。
このような発達段階に入った子どもたちには、一人の学級担任が全教科を教え、一日中抱え込むよりも、いろいろな先生たちが複数の目で子どもたちを指導する方が望ましいといわれている。
学級王国でうまく合わなかった子どもが、違う教科の先生との出会いで救われたりすることも多い。
もっとも学校というところは、チームで教育をするところであるから、一人の学級担任だけでクラスの子どもたち全員の面倒をみるというのは間違っている。
学年の教師集団、学校全体の教職員が一人ひとりの子どもたちに関わり、絶えず教員同士が情報を交換しあいながら子どもの変化に気づき対応していくことが望ましい。
その意味では、
「複数の目で、子どもたちを見ていこう」
「子どもは、チームで育てよう」
ということは高学年だけではない。1・2年生も3・4年生についても同じことがいえる。
しかし、思春期は違う。
親離れ、教師離れの時期には、合う先生、合わない先生が必ずでてくる。
そういう発達段階の子どもたちにとっては多くの教員で関わっていくことが必要なのである。
昔と違って、子どもたちの成長が早まり、5・6年生の多くが思春期を迎えているというのが、高学年で教科担任制を導入することが望ましい理由である。
●内容が高度になる高学年で専門性を
高学年で「教科担任制」が必要な理由は、やはり学力向上の面からである。
小学校でも高学年になると教科内容は高度になってくる。全教科、オールマイティーの教員もいるかも知れないが、多くの場合、教える側にも得意・不得意があるものである。
特に、「理科離れ」「理科嫌い」の子が増えているということが指摘されているが、小学校の教員で大学時代に理科を専攻していたとか、理科が得意であるという人は極めて少ないというのが実情である。
これは、教員養成制度にも問題があるのであるが、理科の時間に子どもたちがワクワクするような実験や観察など、生きた授業のできる先生は限られている。
「社会が得意」「音楽が得意」「体育が大好き」など、教員のそれぞれの特性をうまく組み合わすことができれば、子どもたちの学力が向上するのはいうまでもない。
中学校や高校と違って、教職員の配置が少ない小学校にあって、「そんなにうまく教科担任制をやれるほど教員がいない」といわれることは十分わかっている。
少人数加配などを活用しながら、なんとかやりくりしているのが今日の実情である。
「人をくれたらやる」では、いつまでたっても人も増えない。「子どもたちのために、必要だから工夫してやる」ことによって、はじめて人もついてくるようになる。
“小と中の段差が大きい”ということもいわれているが、小中一貫教育をつくりだすためにも、中学校の教師を招いたりしながら、小学校高学年での教科担任制が進んでいくことが望まれる。
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