先輩からのアドバイス vol.47
【マンガ】評価って難しい 前編

指導や授業で、つまずきがちな悩みや疑問をとりあげ、ベテラン教師から読者と同じ目線で問題解決へのアドバイスを提案します。

ここがポイント

自らの評定の概念

 今回は評価のことについて考えますが、大切なことが多く含まれていると感じるため、前編と後編に分けました。一度に読み切れないことをご容赦ください。
 井澤先生は日頃から子どもたちへの評価について、釈然としないものを感じていたようです。それはなぜでしょうか。みなさんはいかがですか? 評価はきちんとやっていると自負される先生がほとんどだと思うのですが、井澤先生のように「たてまえ」と「本音」が一致しない経験をしたことはないでしょうか? 評定を導き出すためにすべき総括の方法が、「自分なりの方法がきちんとあるから、評価もきちんとできているはずだ」といった考えにかき消されていることもあります。評価については、町田先生の研究会に集まってくる仲良しの先生方にも、いろいろな意見があることがわかりましたね。
 よい評定を得ることは素晴らしいことです。また、受験というものがある限り評定における高得点は正義でしょう。年々少しずつ変化をしていますが、推薦入試などにおいても言えることではないでしょうか。

評価と評定

 井澤先生の「たてまえ」とはいったい何でしょう。「本音」の部分とは何なのでしょうか? 井澤先生は薄々気づいていたようですが、「たてまえ」の考え方は学習指導要領に示された学びの内容に同調させ、それに基づいた教育についてこれまで大学等で学んできたような評価を行うということだったのかもしれません。それでは「本音」とは何なのでしょう? ここに問題の種があるような気がします。社会の先生が言っていたように評価から評定へ、総括の方法論はしっかりとあるべきです。評定の出し方も研究されているでしょう。しかし問題なのは評定だけではなく、何のために評価をするのかということにあるのです。学習指導要領に示された内容は、決して高い評定の数値を求めるためのものではありません。それぞれの教科で目指すべきこと、教育の可能性を示したものなのです。その考え方を理解しつつも、責任ある公正な評定を求められる現場の教師として、その責任の重さに負けそうな自分を感じて、「たてまえ」と「本音」という乖離が生まれたのかもしれません。
 前編では、話し合いの内容について整理しきれない井澤先生でしたね。さっ、後編で解決に向かいましょう

 
(シナリオ・監修、文 川合 克彦)