先輩からのアドバイス vol.40
【マンガ】仏像彫刻の美しさから

指導や授業で、つまずきがちな悩みや疑問をとりあげ、ベテラン教師から読者と同じ目線で問題解決へのアドバイスを提案します。

ここがポイント

美術作品の本物と出会う
 子どもたちにとって、教科書や美術資料などで目にする美術作品も、日常生活では本物を目にするということはめったにないのではないでしょうか。
 修学旅行などで訪れ、そうした作品を目にする機会を持つということは、とても有意義なことといえます。やはりさまざまなフィルターなしで見る本物の美術作品は、モニターや紙面で見る場合とは放つ魅力が違ってきます。事前に学んだ作品を目にした子どもたちは、よく「これか~!」「これね!」と声にした後、わずかな時間、無言になります。このわずかな時間に子どもたちは多くのことを感じ取る起点をつくるのです。これが画像などとして表された作品と本物の作品を見る違いといえます。
 このわずかな時間の中には、子どもたちが事前に学んだいろいろな知識は入り込みません。この時間の後、学んだ知識が活躍します。「あっ、先生が言っていたのはこれか~」とか、ガイド係の方が教えてくれる知識はその後の知ることに役立つのです。
 しかし、この知る学びだけで完結するものではありません。出会った後のわずかな時間がもたらすものとは何でしょうか? それは自分の心の中に生み出す、自分独自のよさや美しさを感じ取る自分独自の価値観ではないでしょうか。

美を宿すもの
 美を感じ取る個々の価値観は、誰にも邪魔されるものではありません。また、量的な概念で測られるものでもありません。ここに、知っている「量」という概念と味わうことができる「豊かさ」という概念の違いがあるのです。事前学習で学んだ魅力は、本物を見ることでさらに豊かさを変化させていくのではないでしょうか。
 では、鑑賞という観点で見てみると、知識は重要視されないのかという問題があります。知識は個々の味わう心の導き手として「誘う」役目を果たしてくれます。田口君がたくさん知っていたことで、子どもたちは「見たい」という感情と自分の感想を持つことができていました。知識によって語られる美術作品は、美術文化を事実として現代に伝えてくれる導き手でもあるわけですね。
 興福寺の阿修羅像は、とても人気のある仏像彫刻です。コンピュータを使って制作当時の復元が示されていますが、どうも現代では好みという観点で賛否両論あるようです。現在の阿修羅像の方がよいという人にとっては、長い歴史での時間が、現代の作品の「美」をつくり出したといえるのかもしれません。

(シナリオ・監修、文 川合 克彦)