ここがポイント
生徒の姿に見る手応え
研究会で刺激を受けた井澤先生は、町田先生の方法論にいたく感心しながらも何かしら腑に落ちないものを感じ取っていました。なぜ自分が納得していないのか、答えを出せずに悶々としています。そこで同じ方法で授業をして自分自身の手応えで判断しようとしたわけです。決してスマートではないのですが井澤先生らしい方法ですね。そこで試したのが1年生のクラス。小学校で学んだ図画工作の授業から中学校の美術へとステップアップし、彼らにはレベルアップしたのであろう学びに期待感があります。そこで提示されたのが、井澤先生が研究会で学んできた町田先生の授業スタイルであったわけです。授業は細かなステップごとに到達点が示され、子どもたちは指示通りの方法で制作を進めていきます。発想の段階でも思いを表現に結び付ける手順があるために、ほとんどの生徒は制作を順調にこなしていきます。高度なテクニックも丁寧に指導され、彼らは各自完成作品を手に入れることができました。彼らが見せる満足そうな表情は、指導者にもやり遂げた喜びをもたらしたことでしょう。これなら授業はうまくいくという実感が方法論を決定づけます。
美術科における表現の価値
この方法での授業の優れているところとは何でしょうか? これを解き明かすことが、町田先生の授業形態の持つ魅力と、井澤先生とミュズが今一つ納得していないその魅力に隠された授業の問題点なのではないでしょうか?
子どもたちの学力とは「学んだ結果、身についた力」という側面と、「すごいなー」という憧れや「何それ?」という好奇心、「頑張ってできた!」いう喜びなどの中で培われる「学んでいこうとする力」という2つの側面があることを忘れてはいけません。知らなかったことを知った、できなかったことができるようになった。それをテストで試す。よい点が取れたことでよしと判定する指導の価値観からは少し間を置く力といえます。1年生が初めて出会う今回の授業は、未経験な部分が多い1年生だからこそ、それを魅力ととらえられたということはないでしょうか? 問題は表現のありかです。今回の表現はどこから、なぜ生まれたのかという表現本来の価値に問題が潜んでいそうです。
そして、成長という視点で考えれば、中学生としての3年間は成長過程の中でも大きな転機を迎える大切な年齢といえます。学習指導要領においては1学年と2学年及び3学年という範疇で記載されますが、2年生と3年生の成長を教師が資質と能力の面で同じようにとらえることは、心の変容を見えなくしてしまう危険性を生んでしまいます。美術教師は学年ごとにはっきりとした成長過程を見抜く視座を持ちたいものです。では、1年生の成長過程とはいったいどういったものなのでしょうか? 1年生は子どもらしい表現の延長から脱皮し、青年期の表現へと変化を遂げる過渡期にあるといえます。多くの生徒に子どもらしい心を解放した表現は見いだせなくなることに加え、自らの表現はまだ見定めることはできません。しかし彼らは新鮮でキラキラした、感じ取る「目と心」を持っています。美術教師はそれを踏まえ、表現する喜びを味わわせることが大切になるのです。そのためには技術的な覚醒も必要になってきますが、それのみを指導の中心に据えることは危険ではないでしょうか? 考えていくべきこととは、美術という教科で育む学びの本質を見失わず、新たな「もの」や「こと」との出会いを大切にした授業をデザインしていくことなのではないでしょうか。
(シナリオ・監修、文 川合 克彦)