ここがポイント
よきライバルは宝物
今回の町田先生は、これから成長していくであろう井澤先生にとって、とてもよきライバルになるような気がします。しかし、井澤先生自身はまだ、町田先生をライバルとは見出せてはいません。今後、よきライバルとして自分自身を磨いていく、よきお手本であったり、対抗したりしていく存在になっていくとよいのですが・・・。二人の葛藤と成長を見守りたいものです。
しかし、なぜライバルがいるということが、よいことなのでしょうか? 人は、ライバルの存在によって、まるでパンドラの箱を開いたように羨望の感情、嫉妬心や敵対心が生まれることがあります。自分と見比べてライバルが優れていると感じたときにその感情は高ぶります。つまり、ライバルに対する感情とはそう感じている自分自身の、心の中の問題と言えるのです。しかし、パンドラの箱のすみっこに負けていない自分の姿や可能性を自らも気づかないうちに育んでいることがないでしょうか。ライバルの出現を好機ととらえるためには自身を客観視し、相手に自分の姿を映し込み、その差から自らのよさをどうしたら引き出せるのかを考えることが大切なのです。
優れた授業スタイルとその危険性
井澤先生とミュズは展示会で町田先生の指導作品を鑑賞しました。一見して分かる、完成度の高い作品だったのでしょう。では、ミュズが感じ取った違和感とは何だったのでしょうか?
例えば、違う対象を描いたとしても、作品完成までに指導者が一つ一つクリアするべき目標を示して、「ここまでできた人の次の目標はこれ」というように構想の方向性を提示して活動をしているとするとどうでしょうか? たしかに完成した作品は高いレベルの作品に仕上がると思います。問題は指導者の美の価値観で作品制作が進んでしまうということなのです。話し合いのテーマが、先生から一つ一つ示されたテーマであったとしたら、そこで出来上がった作品は「○○先生のアバター作品」になってしまいかねません。
ただ、話し合いながら造形活動について思考し、構想を練り上げていく学び合いはとてもよい方法と言えます。特にアクティブラーニングの実践例に見るように、4人組で学び合うスタイルは、お互いを高め合うとても優れた授業形態と言えます。問題は、優れているがために、方法の「型」のみが先行し、子どもたち一人一人の育みがかえって見落とされはしないかという点にあります。話し合われる内容と一人一人の学び取るスピードがリンクしない場合、その破綻に危険性が潜んでいるのです。学び合った結果、意識の高みと刺激の後は、一人で自己の問題意識と対峙する一人の時間と指導者のまなざしが必要になるのではないでしょうか。
(シナリオ・監修、文 川合 克彦)