ここがポイント
収束型学習と拡散型学習
井澤先生のように、二日酔いで指導の発言が少なかったというのは言語道断ですが、生徒たちにとって自分の思考と向き合う時間はかけがえのない学びの時間と言えます。生徒たちが行う学習を客観的に見つめてみましょう。教科の特質を踏まえ大別すると、一つの真理に到達しようとする学習と、一つの学習テーマから一人一人の学びへと拡散していく学習に分けることができます。仮に前者を収束型学習、後者を拡散型学習とします。収束型学習は、数学などの教科に代表される答えを導き出す学習と言えるのですが、しかし真理へと到達するまでには数々のトライアンドエラーがあります。つまりこの段階では、一人一人の学びは拡散しているといえます。
現代においては、いかに真理に合理的に素早く到達できるかという方法論が優先されることが多いように感じられ、本当の意味での数学的な創造力はおろそかにされているといえる状態が見受けられます。一方、美術科などの拡散型学習は同一のテーマからそれぞれの思考や判断が生まれ、表現への試行錯誤が行われます。拡散型学習は学習している全体からみるといろいろな表現が生まれ拡散しているといえるのですが、一人一人の学習を見てみると拡散した後、個々の表現へと収束していくのです。ですから、一人一人の学習ということで考えると収束型であり、拡散と収束の双方の流れがとても大切だといえます。
『待つ』指導の重要性
そこで教師の指導としては、どちらの学習形態においても、拡散していく段階まではしっかりとした学習の方向性を示す必要があります。しかし各自のトライから自己の答えを導き出す試行錯誤の段階においては、各自の個人的な思考の時間を保証する必要があります。この段階に「待つ」という指導の重要性があるのです。なぜならその中には創造という大切な種が隠されているからです。
(シナリオ・監修、文 川合 克彦)