Vol.07 小川仁志 教授
考えあうことが哲学、それは美術の学び

 世の中を“美術でのつながり”を探って、あらゆる分野で活躍される人物にインタビューするコーナー。第7回は哲学者の小川仁志教授です。

小川仁志(おがわ・ひとし)1970年生まれ。哲学者。専門は公共哲学。山口大学国際総合科学部教授。市役所職員から哲学者に転身したという異色の経歴を持ち、哲学カフェを主宰するなど、市民のための哲学を実践している。著書に『ジブリアニメで哲学する』『小川仁志の〈哲学思考〉実験室』など多数。また、NHK Eテレ「世界の哲学者に人生相談」に出演するなど、各種メディアで活躍。

 まず、どうして哲学者になろうと思ったのですか?

 大学卒業後に大手商社に入社したんですが、仕事で台湾に行った際、政変に巻き込まれたんです。そこで社会を変えようと奮闘している熱い気持ちを持った人たちに出会いました。必死で活動している姿を目の当たりにして、自分もそういうことがしたいと一念発起して会社を辞めたんです。ただ、やりたい思いはあるけれど、実現できずに引きこもってしまった。「このままではいけない。自分の力で世の中を切り開いていくツールはないものか」と考えていた30歳の頃、哲学に出会いました。

 なぜ、哲学だったのでしょうか?

 それは、哲学が宗教や他のものと違って、「頼る」のではなく「疑う」という学問だったからです。私が挫折したのは、人生を自分以外のものに頼ってきたからなんですね。いい学校を出て大企業に入社すれば幸せになれると信じていたのになれなかった。挫折してそのことにようやく気づいたんです。何かに頼っていたらまた繰り返しになると。人生に迷って悩んで失敗して行きついたのが哲学だったんです。

 哲学は難しいと単純に思ってしまうのですが、もし中学生に哲学を分かりやすく教えるとしたら?

 あえて簡単に言えば、哲学とは、世界を自分なりの言葉や新しい言葉でとらえ直すことです。例えば、コップは飲み物を入れる物だと思いこんでいるところをもう一度考え直すことによって違う言葉でとらえ直す。そうすると実際に違うものになります。先入観を取り払って、世界を新しい見方でみる。そうすれば、人生がより豊かに、世界が楽しくなってきたりします。私は、哲学は創造的な営みだと思っています。哲学に対して古いものを発掘するようなイメージを持つ人は多いですが、哲学の面白さは創り出すことにこそあると思います。

 創り出すとは、「クリエイティブ」ということですね。そうすると、哲学と美術には何か共通するものはあるでしょうか?

 哲学は物事の本質を「言葉」によって表現するもの。それに対して「形や色」などで表現するのが美術。アートも何か対象物を絵にしたり造形にしたりするときには、その対象物を自分なりに「とらえ直して」いるわけです。例えば、リンゴは普通、赤い球形として見えていますが、リンゴから悲しみを感じとり、絵で「悲しみ」を表現するということもできる。ただ単に見えている物の中から自分がとらえたさまざまな側面を表現できるわけです。哲学はそれと同じことを言葉によって行うのです。

 言葉か、形や色彩かという本質に迫るアプローチが違うわけですね。

 そのとおりです。私はピカソが絵画に用いているキュビスムの発想が好きなんです。到底現実とは思えない形で物事の本質が示されていて、私たちが日頃見ているものが偽物なんだとハッと気づかされる。例えば、「ゲルニカ」は、どんな写真よりも戦争の悲しみや怒りの本質を普遍的に伝えているように思います。普遍的だからこそ時代や人を選ばない。抽象的な画風になっているのもそのためです。未来の人たちが「ゲルニカ」を見ても、人間の憎しみと悲しみが描かれていることは分かると思いますね。哲学とアートは、どういうふうに本質をとらえるのかという点ではまったく同じです。

 なるほど。哲学と美術がとても近いところにあるのだということがよく分かるご指摘です。ところで、そもそもですが、哲学は世の中の役に立っているのでしょうか?

 もしこの世に哲学がなかったら、みんなが同じ考え方になってしまって危険です。かつて神の存在が信じられていた時代がありました。哲学が生まれた古代ギリシャにおいても神々は絶対的な存在でした。しかし、ソクラテスはそれを疑ったわけです。いつの時代も権力者が腐敗して苦しむ人が出てくると、哲学者が問いかけることで、世の中が変わっていったという歴史があります。哲学は多様性を訴えて、大きな一つの考え方を崩す役割も担っているんです。

 小川先生は、大学だけでなく、市民の中で哲学を教えていらっしゃるそうですね。

 「哲学カフェ」自体は90年代にパリで始まったものですが、私の哲学カフェは一味違います。一番の特長は、私がファシリテータ―としてたくさん話すこと。複数の人と哲学の対話をするというのは難しいことで、導く人がいないと単なるおしゃべりの場になってしまう。また、ディベートをしないことも大切なポイント。どんなテーマでも必ず意見は分かれますが、結論づけはしません。他人の意見を聞きながら自分の考えを深めて吟味することが目的ですから。

 「対話」の中で深めていくということでしょうか。

 そうです。哲学カフェは、一つのテーマについてみんなで考えて作品を作り上げていく芸術のようなものに近いかもしれません。いい議論ができたときはみんなで喜びを味わえます。別に結論が出るわけじゃないですけど。

 一体感があって、美術の共同作業にも通じるものがありますね。最後にお聞きしますが、もし美術の授業を持つとしたら、どんな授業をされますか?

 何か造形物なり、アート作品を作ってもらおうと思います。ただ、作品を作る前に、まずはディスカッションをして何を表現したいのかということを“哲学”してもらいたい。ペンやコップなど身の回りの物について疑ってとらえ直してもらうのです。そして同じ対象物を選んだ者同士で議論して、それぞれがとらえ直したイメージを言葉で再構成し文章にする。それをもとに一つのグループが作品を作り、別のグループがその作品を鑑賞して解読する。最後に二つのグループで対話をしたい。ポイントは自分のとらえ方や考え方と違っていること。同じ考えだったはずの人が違う形で表現していることに気づくことが何よりも大事です。それこそが哲学の実践であり、美術の学びであると私は考えます。

自身のことを哲学研究者ではなく、哲学者だと語る小川教授。
自分が持っている常識や思いこみを超えて考え始めた瞬間、誰しも哲学者になれるという。

哲学カフェでは自らがファシリテータ―となり、参加者の議論を導く。最後はそれぞれの貢献を称えて、みんなで拍手し合って終わる。

 

取材後記
 小川先生とお話しして「哲学」は過去の偉人の教えを研究することだけではなく、本質としては、今まさにさまざまな観点を挙げて、それを考えたり、話し合うことこそが「哲学」なのだと分かりました。他者意識がどんどん芽生え、自己も確立されていくことでしょう。
 エネルギッシュな小川先生の哲学と美術の授業の連携で、生徒の心に化学反応が起きそうな気がします。
 全国の美術の先生、授業にぜひお招きしませんか。(Y)