中学校の美術による学びのチカラを、3年間の生徒の成長する姿に重ね、
読者と一緒に考える、連載コラムです。
中学生が思春期と呼ばれる青年前期の発達段階に入る時期であることはよく知られています。そしてこの時期は、こうありたいと願う、あるいはこうあるべきだと思い込んでいる自己像と、自覚する客観的な自己像とが一致しない「同一性拡散」の危機の時期とも言われます。そのもっとも過渡的で「難しい」時期、大人への階段の踊り場に立っているのが中学2年生です。
今回は、そんな中学2年生のAさんが、自立心が目覚めたがゆえの不安と闘いながらも、美術の学びの中で自らを縛り付けていた「他者の目」から解放され、表現に没頭し、自己実現に向けて成長する姿を通して、美術の学びの意義を考えます。
Aさんは、入学した当時から、まじめで勉強がよくできる優等生のイメージで見られていました。ところが、1年生の終わり頃から、授業中にぼーっとしていたり、手が止まっていたりすることが見られるようになり、次第に成績も下降してきました。
2年生になり、美術の授業で「心でとらえたイメージ」を絵に表す学習に取り組んでいるときも、手が止まったままでした。中1の頃は、とても丁寧で細かな所まで根気よく取り組み、意欲的に取り組んできただけに、先生は心配して声を掛けてみました。
「まだまだ考え中かな?」と先生。「描けない……」とAさん。「アイデアが思いつかないの?」と先生が尋ねるとAさんは涙ぐむだけで答えがありません。たまたま、その美術の先生はAさんの担任だったので、別の機会にいろいろと話をしてみました。そこから分かったことを要約すると、いままでは先生に褒められるのが嬉しくて、言われたとおりに描いてきたけれど、それが自分の描きたいことではないように思えてきた。でも、自分の思うままにやってしまうと、先生やまわりからどう思われるかが気になって描けない。というようなことでした。
幼いときから優等生であったAさんは、親や先生に褒められることも多く、自信も持っていました。褒められるのが嬉しくて何事にも積極的に取り組んできたのでしょう。幼い頃はそれで良かったのかも知れませんが、それが高じて他人の評価や目を気にしすぎる傾向が身に付いてしまったようです。ただでさえ、思春期には他人、特に大人より同じ年代の友だちとの関係を重視するようになる時期ですから、なおさら仲間の目が気になります。
その一方で、自我が目覚め、自分の感じたことや自分の思うことを大切にしたいという欲求が高まります。それは自立心の育ちでもあります。ですから、言われたままにやることにも抵抗を感じるようになります。このように、「こうありたい」、あるいは「こうあるべき」という自分のイメージと、自覚している自分のイメージの間にズレや対立が生じ、不安にとらわれ、得も言われぬ苦痛を感じる、いわゆる「同一性拡散」の危機に直面していたのでしょう。
先生はそのことに気づき、また、この時期の中学生には同じ状況を迎えている人が他にもいるだろうと考えました。そして、はじめにワークシートを配り、何を描くか主題を考えてから制作に入るという、これまで当たり前のようにしてきたのとは違うアプローチの題材を模索しました。
他者の目が気になる、成績が気になるといった状況は「適応的態度」とも呼ばれ、求められた課題に対応するだけの態度につながるといわれています。課題が求められなければ自分からすることもありませんし、求められてからやるだけなので主体的でもありません。それに対して、実現したい価値を見つけ、その実現に向かうときには主体的に取り組むことができます。このような態度に導くためには、他者の目や評価からの「解放」と、いま目の前の事に夢中になれる「没頭」が大切です。
先生は、次の「水墨画」の授業では、まず水と墨と紙、そして筆の特性に実感的に気付き、その表現の魅力を存分に楽しむことに「没頭」できる時間を設けました。Aさんは、はじめは少しとまどってはいたものの、作品づくりとは違う「解放」感からクラスのみんなとともに、墨と水が混じり合ったり、偶然できた形や色の面白さを感じたりしながら夢中になっていきました。さらに、そこで見つけた偶然の造形美を自分の作品に活かそうと意欲的に取り組んでいきました。先生が近づき「何を描くのかな?」と尋ねるとAさんは,いたずらっぽい目を向けながら「内緒!」と楽しそうに応えました。
中2の発達課題の克服は簡単ではありません。しかし、自己表現を軸にする美術の学びにおける「解放」と「没頭」、そして実現したい「価値」と出会い自己実現に向かうことで、その克服に大きな役割を果たすのです。
まさに、中学生の美術の学びの花がここにあると言っても過言ではありません。
大橋 功
岡山大学大学院 教育学研究科 教授 (美術教育講座)
○専門分野
図画工作・美術科教育に関する学習指導と教育課程、教材開発に関する研究
○経歴
京都教育大学卒業、大阪市立淡路中学校、大阪市立城陽中学校、兵庫教育大学大学院学校教育学専攻芸術系派遣留学修了、大阪市立柴島中学校、佛教大学、東京未来大学を経て2011年より現職
○所属学会
日本美術教育学会理事、事務局長、日本実践美術教育学会会長、美術科教育学会会員、大学美術教育学会会員