中学校の美術による学びのチカラを、3年間の生徒の成長する姿に重ね、読者と一緒に考える、連載コラムです。
一年間の学びを振り返る時期になり、さてどうしようかと考えはじめた日、ある荷物が学校に届きました。それは、海外の子供たちの絵画でした。箱の中には、ウクライナとロシア、リトアニア、モルドバの子供たちの絵が40枚。昨年10月末にJAグループの出版文化団体「家の光協会」が主催する「世界こども図画コンテスト」の審査に関わったとき、返却されない選外の作品を授業の資料として譲っていただいたものが届いたのです。それは、ロシアのウクライナ侵攻、乳幼児がいる病院も爆撃されたというニュースが入った日のことでした。
そして始まった最後の授業、そこには今手に取っている他国の子供の絵画作品を通して、戦禍に苦しむ遠い国の見知らぬ子供に「いのちのつながり」を感じ、自分や自分の家族のことのように心配する中学生の姿がありました。今回は、この実践に取り組まれた東京都中野区立第5中学校の花里裕子先生のレポートを元に紹介させていただきます。
まず、箱から取り出した作品を黒板に並べて貼ってみました(図1)。どの絵も美しく、筆使いはもちろんのこと、手に取ってみることでその絵を描いた子供の気配さえ感じられます(図2)。
まずは3年生の授業で、黒板には一枚だけ作品を貼り、あとは生徒一人一人に作品を一枚ずつ手渡しました。すると「わー、かわいい絵!」「迫力!」「これは何を描いているのだろう」と生徒たちは歓声を上げます。しかし、次に誰かが裏面の応募票に気づき、そのことがクラスに広がると一瞬シンと静まりかえりました。応募票には、国名、画題と名前のほか、学校の住所や電話番号、メールアドレス、子供の生年月日などが記載されていたのです。
「電話番号! かけてみたりして〜」とふざけてみたものの、「……今、そこにはいないかもしれな……」と、この絵を描いた子供たちが置かれている状況に気づいたようです。そこから、祈るような気持ちでネット検索をして、地図やニュースを調べ始める生徒たち。翻訳機能で作品表に書かれた画題の意味、住所にある街の様子やその土地の四季や名産、風習を調べていきました。
作品は8歳から15歳。黒板の絵(図3)を描いたのは13歳の女の子です。この子が住むウクライナという国のことを考える人がどれほどいたでしょう? しかし今や世界中の人たちが心を痛めながら見守っています。
「カッターとポーズ人形と黒い絵……ミシンがある。服を作ろうとしているのかな? 自分の机だ……手作り好きな子なんだ……」
「この子、僕と誕生日2日違い……。ウクライナ、今朝のニュースで攻撃を受けているって言ってた」
と、どんどんと深刻な表情、深刻な話題となっていきます。
「ねえ、6歳の子、死亡だって。この子じゃないといいな……違う、みんなこの子と変わらない。悲しいよ」と、今手に取る作品を描いた子だけでなく、すべての子の命が等しく大切なことに気づくのでした。
絵の裏面には、作者の下書き線や落書きが残ります。
「この子にいい絵だねって伝えたい」
「避難しているといいな。でも、こんな気持ちでもう絵は描けないかもしれない」
「この子たちの絵を返してあげたいし、幸せも返してあげたい」
「先生、この絵は最後の作品かもしれないから、捨てちゃダメ。返してあげたいよ。どうしたらいいだろ」本気で、何とかしたい一心で教師にも訴えかけてきます。
3年生の最後の授業は、ウクライナの子供たちの絵に触れながら、3年間で学び取った価値や自分の成長について語り合う時間になりました。
生徒たちの振り返り文からは、世界中の子供たちを間近な存在としてリアルに感じ、この戦争が自分自身に降りかかっていることとしてとらえていることが伝わってきます。そして、ロシア=加害者、ウクライナ=被害者という図式だけでなく、この戦争で多くの子供を含む罪のない人々の命が奪われ、日常のささやかな幸せが奪われていることに思いを至らせているのでした。まさに「いのちのつながり」の実感です。そしてそれは、中学校3年間の美術の学びそのものから導かれた感覚でもあるのです。
みんな違ってみんないい、でも、自分ができることもあればできないこともある、それが元で諍いになることもあったけれど、それを乗り越えて、それぞれがお互いを尊重し合い助け合うこと、補完し合うことの大切さを学んできたのです。(図4)
手に誰かの絵を持つ生徒たちに語りかけたのは、教科書の巻末のメッセージです。
「隣の誰かと、それぞれの文化を大切に、感動を分かち合える人になってほしい」
生徒が検索したニュースには、美術館が爆撃された画像。これほど強くこのメッセージに祈りを込めたことはありません。
2年生は、作品の絵の技法にも迫り、描かれている内容について深く対話をしていました(図5,図6)。3年生以上に作者が住む街をネット検索して街並みやお祭りの様子を調べたり、ニュースを見たりしていました。ある生徒は「この絵の子に何年先でも好きだって伝えたいから忘れないように」と授業後に作品を撮影していました。
また、スマホ片手の「のっぺらぼうたち」は、赤いドレスで泣く彼女に誰も注目しない。そんな絵(図7)を描いた同い年の14歳の子に、ある男子生徒が「SNSによる誹謗中傷で傷ついたことのある自分もこういう気持ちだった」と共感のメッセージを送りたいと言います。「ロシア語で書いてメールで送りたい……、届かないかもしれないけど……」と言うのです。
1年生は、粘土が触りたくて美術室に来たのに絵を渡されて、はじめは何だかガッカリした様子でした。「暗いの、嫌なんだけど。こういう話題やめてほしい」と絵を見ずに伏せてしまったり、顔を背けたりする生徒も数人いました。けれど、コメントを読んでみると、自分ごとすぎて恐ろしくなってしまったのかもしれません。1年生が一番ロシアの子供の絵を見て驚いていたようです。
ある生徒は、自分が手にした絵(図8)を気に入って、裏面をみたらロシアと書かれている。戦争で酷いことをしている国だなと思うものの、子供の作品は、他の国の子供の絵と比べて何か違うだろうか? そんなことはない、素敵だよねと感じたようです。
1年生なりに、美術が持つ力や絵を描くことや自分らしさについて考えているコメントが多く見られました(図9)。生徒たちは、中学校に入学し、図工から美術へと張り切る気持ちだけでなく、「こうしなければ」といったプレッシャーや窮屈さを感じていたのかも知れません。たまたま戦争状態にある国の子供たちの絵に触れる機会に出合い、大切なことに気づかされたようでした。
すべての学年で「絵は、自分と出会い、世界と出会う」と話しました。
生徒たちは、前日の深夜の大きな地震を思い出して「緊張状態の中では何も手につかない」と気づき、「戦争が起こる前に描かれた絵なのに、もうこの絵から感じるメッセージは、平和を返してほしいとしか見えない。今この子たちの夢が壊されている」と言います。
手に取った絵の作者を名前で呼び、絵に入り込んで語りかけ、自分にできることを問い、世界を見つめる中学生たちは、共に同じ時代を生きる遠い国の同世代の誰か、弟や妹と同じ歳の小さな誰かの夢や思いを共感的に想像し、自分に何かできないかと真剣に考えています。
色や形で共感した小さな友情を守るため、
世界の希望である子供たちの想像の世界を救うため、
私たち大人も、何ができるかを考え続けたいと思います。
※本稿は、花里裕子先生の寄稿を元に再構成したものです。
大橋 功
岡山大学大学院 教育学研究科 教授 (美術教育講座)
○専門分野
図画工作・美術科教育に関する学習指導と教育課程、教材開発に関する研究
○経歴
京都教育大学卒業、大阪市立淡路中学校、大阪市立城陽中学校、兵庫教育大学大学院学校教育学専攻芸術系派遣留学修了、大阪市立柴島中学校、佛教大学、東京未来大学を経て2011年より現職
○所属学会
一般社団法人日本美術教育学会 代表理事、日本実践美術教育学会会長、美術科教育学会会員、大学美術教育学会会員 (2021年7月現在)