Vol.10 末永幸歩さん
当たり前だと思っていることを疑い、別のものの見方で探究すること。それが「アート思考」。

 世の中を“美術でのつながり”を探って、あらゆる分野で活躍される人物にインタビューするコーナー。第10回は『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』の著者で、美術教師の末永幸歩さんです。

末永幸歩(すえなが・ゆきほ)美術教師、東京学芸大学個人研究員、アーティスト。東京都生まれ。武蔵野美術大学造形学部卒。東京学芸大学大学院教育学研究科(美術教育)修了。東京学芸大学個人研究員として美術教育の研究に励む一方、中学・高校の美術教師として教壇に立ってきた。知識・技術偏重型の美術教育に問題意識を持ち、アートを通して「ものの見方を広げる」ことに力点を置いたユニークな授業を展開。自らもアーティスト活動を行うとともに、子ども宇向けのアートワークショップ「ひろば100」を企画・開催。著書に『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)。

 末永さんが最初に中学校で美術の先生をされたときの印象をお聞かせいただけますか。

 私は、両親が創作することに親しんでいて、子どもの頃から絵を描いたり、ものをつくったりする環境で育ったんです。だから私にとっては13歳の分岐点やギャップはありませんでした。最初の学校の現場で、はじめに生徒たちに「美術に対してどんなイメージ思っていますか」や「美術は好きですか」というアンケートを取ったんです。驚くことに、苦手や嫌いという回答が多かった。理由は「自分が不器用だから」「絵が下手だから」など。美術が好きという子もいましたが、その理由も「絵を描くことが得意だから」とかで、どちらも制作の過程よりも作品の出来栄えを基準にしていたのです。そのとき、得意か苦手かということが、好きか嫌いかにつながっていることに気づきました。それが教師になってとても驚いたことでした。

 そうですか。何年くらいされたんですか?

 最初は4年間常勤で、東京都の中学校で勤務しました。その後、大学院で美術教育について学び直したんです。そして、大学院の間も非常勤の教員としてとぎれとぎれではありますが4年間続けましたので、合計8年間が経ちました。

 それでは、著書の『13歳からのアート思考』のお考えにシフトしていかれたのは、いつ頃だったのでしょうか。

 この本に書いてあるような授業は、大学院時代の非常勤の教員になってから始めたんです。常勤のときは日々の学校生活に追われ、やりたい授業を考える時間がなかった。非常勤になって心の余裕もできて、あらためて面白いことをやってみたいと思ったのです。「アート思考」を本のタイトルにしていますが、実際のところ「アート思考」という言葉も知らなかった。今、振り返ってみると、私が試行錯誤しながら授業を作っていったことが、アート思考を実践していく過程だったのだと思います。この本の中でも紹介していますが、表面に生えている「表現の花」の部分、つまり「アート思考の授業を世の中に広めようという」などという目的があったわけじゃない。花のイメージがない状態で、自分の「興味のタネ」から「探究の根」を張って授業を作っていった結果、たまたまできたものが「アート思考」なんです。

 とても興味深いお話ですね。私たちも、形や結果ありきでなく、過程やプロセスを重要視した教科書づくりをしています。僭越ですが、この著書の中で述べられいることのエッセンスにとても近しいものを感じながら、拝読させていただきました。

 ありがとうございます。私は、アートには2つの側面があると思っています。1つは実際に絵を描いたりものをつくったりする側面。もう1つは、アートを通して日常や世界をとらえたり、思考したりする哲学的な面白さ。私が学んでいた武蔵野美術大学では、この後者のほうをやっている学生がすごく多かった。見た目には何も作ってないし、何やってるのかわからない、これが美大生なのっていう人がたくさんいた(笑)。でも、話を聞いてみると、その人なりに「探究の根」を張り、「興味のタネ」を膨らませて、深く考えていて、そういうものがアートなんじゃないかという感覚があったのです。

 アートについての本質的な洞察です。それはとてもラッキーな出会いでしたね。

 それが中学の現場では全然違っていました。前者のものづくりの美術にフォーカスされていた。市内の小・中学校の作品展で展示されていた自画像を見たとき、とても上手で美大生顔負けのような作品があった。しかしよく見てみると、それらはどれも同じような技法で描かれていました。背景の塗り方や顔のとらえ方、構図など。もちろん技法を学ぶことは重要です。ただ、どんなことを表現したいのかがまずあって、表現方法や技法に行き着くと思うのですが、その順番が逆になっていた。また、技法の部分で終わってしまっている。そんな疑問を抱いたまま常勤の教員をしていたんです。

 その疑問が原点になっているわけですね。ところで、いまこの本はビジネス書としても、とても多くの人に読まれていますが、ご自身ではこの状況をどうとらえていらっしゃいますか?

 私自身も純粋に驚いています(笑)。アート思考を大人に広めていこうと思って書いた本ではないので、中学生に向けて実際にやってきたものが結果的にいまの大人たちにもフィットしたのかなと。いろんな感想をいただくのですが、読者は大きく2つのタイプに分かれているようです。1つは現代の生き方や仕事に適用するようにとらえてくださっている方。もう1つはすごくわかりやすい現代アートの本として読んでくださっている方です。

 たしかに昨今、ビジネスの問題解決にアートの考え方を取り入れる視点がとても増えています。また、タイトルの中にある「13歳から」という言葉も大きなキーワードになるかと思います。私たちも中学校の教科書に取り組んでいますと、「13歳」というが1つのターニングポイントになっている気がします。

 学校現場で私がまず驚いたのが、中学生の多くが美術に対して大きな苦手意識を持っていることでした。実は、小学校で図画工作はとても人気教科なんです。本来、子どもは表現することやつくることが好きなはず。ところがそれがどこかで失われていく。中学になってからの技術・知識の偏重型の授業が子どもたちの苦手意識を生んでいるんじゃないかというのが私の現場での実感です。

 実際の授業は、この著書の中で書かれている、20世紀の6つのアート作品を題材にした、6つのクラスの構成で実践されているのでしょうか。

 はい。しかし、このような授業を年間通してやっているわけではありません。「アート思考」とは簡単に言えば、ものごとをいろんな角度から見るということです。アートを通して、いままで無意識にとらわれたいたものの見方や考え方の枠を外すことを学び、自分だけの答えを見つけ、人生を豊かにしていくという思考です。3学期に分かれていたら、1学期にマインドセットのような形でこの本の中にあるクラス1からクラス6までの内容をエクササイズも含めてやることで、「アート思考」について学ぶわけです。2学期、3学期で実際に表現の授業をします。ただ、1学期にアート思考、2・3学期は制作活動という単純な立て分けではなく、1学期はアート思考について頭で思考して、2・3学期は実際に手を使って思考するという意味です。面白いのは、1学期にアート思考について学ぶと、「美術ってこんなに役立つものだったんだ」とか「探究するって面白い」とか、すごく反応がいいのです。しかし、2・3学期に自分自身の表現を通してもう一度アート思考をすると、1学期にいろんな見方があることをアートを通して学んだはずなのに、まだ自分の思考の枠に縛られていることに生徒たちが気づくのです。できる気がしていたのに、うまくいかないとか、試行錯誤をする。でもそこがすごく重要だと思います。

 中1の13歳からはじまる3年は、心や体の変容とともに人生においてもとても重要な3年間です。お話を伺っていると、それぞれの学年における1学期にこのアート思考のエクササイズで刺激を与えることで、その年代に応じた新しい視点やものの見方ができる中学生が生まれていくようで、とてもワクワクしてきます。

 実際に中学や高校の先生方から「実践してもいいですか」とご連絡をいただくことがあります。とてもありがたいことなのですが、気をつけてほしいのは、アート思考は、白か黒かというものの見方ではなく、別の第3の見方、第4の見方があるということを示すということです。例えば、生徒に自画像を描かせると、写実的に描けているものが「うまい」と生徒たちは評価します。そこで、マティスの肖像画を例にとって説明すると、写実だけじゃないんだということに気づく。ここでポイントは、写実で描いた生徒を否定しないこと。写実にはもう意味がないと否定するのではなく、たくさんある表現方法の1つであって、それと同じようにほかのものの見方がある。その中から自分の表現方法を選んで描くことができるということを教えてあげることです。

 そこが大事なところですね。つまり美術の学びには、いろんな見方であり、手法なりがあってOKであると。そういった考えが、授業のベースになっていくといいのですね。

 そのとおりです。油絵の技法について授業をしたときのことですが、アーティストが探究してきた結果である技法を単に教えるのではなく、「技法の探究」という授業をしました。油絵の絵具もオイルを並べるだけじゃなく、サラダ油やオリーブオイル、筆のほかに歯ブラシやたわし、キャンバスだけじゃなくて画用紙や段ボールなど、いろんな物を置いて「まずは実験してみましょう」と。すると「だから、水じゃなくてこんな臭い油使うんだ」とか、「画用紙のほうが効果として面白いじゃん」とか、生徒たちは楽しそうにいろんな発見をします。ですので、どんな授業にも自分の興味から探究する過程を生まれさせることができると思って。こういった授業は生徒たちだけじゃなくて、先生自身も楽しめると思うんです。

 生徒だけでなく、先生も発見できることがポイントですね。

 ピカソの言葉で「すべての子どもはアーティストである。問題なのは、どうすれば大人になったときにもアーティストのままでいられるかだ」という有名な言葉があります。子どもは本来アーティストであるけれど、それは脆いもの。学校や家庭での大人による無自覚な声掛けなどによって簡単に失われていってしまうものなのかなって。それを私たち大人が理解することが重要ではないでしょうか。

 大人にとっても、刺激な考え方だということがよくわかりました。

 現在、コロナ禍で以前のように気軽に美術館に行って、絵画や彫刻を鑑賞することができなくなっています。ただ、アート思考とは、美術作品を見て考えることだけではありません。日常の生活の中で、子どもの視点で好奇心や興味を持って、別の角度からものごとを見ること。スティーブ・ジョブスの「think different」という言葉のように。そして、表面的な「表現の花」だけを追い求めるのではなく、自分の内側にある興味もとに探究し続けていくこと。それがアート思考なんだと思っています。

著書『「自分だけの答え」がみつかる 13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)。キュビスムやフォービズムといった専門用語を使わず、できるだけ分かりやすい言葉で、本質を伝えるように書いたという

アートを植物に例えた図「アートという植物」(『「自分だけの答え」がみつかる 13歳からのアート思考』より)。地表に咲いている「表現の花」がアート作品。この花の根元には、「興味のタネ」があり、この中に「興味」「好奇心」「疑問」が詰まっている。この「興味のタネ」から無数の根「探究の根」が生えている。「アートという植物」はこの3つの要素から成り立っていて、地中にある大部分が大事な「アート思考」の過程だという。

取材後記
 今回は、コロナ禍の中ではじめてのオンライン取材となりました。
 「アート思考」というキーワードから示唆に富む多くのヒントをいだだきました。学校においても、これからの授業づくりにおいてカリキュラム・マネジメントが求められていますが、美術の学びというものが、多くの教科と関連して生きていくことを感じた次第です。やはり美術の学習は、各教科の学びの核であると思います。
 ちょうどお子様がお生まれになってひと月ほどとのこと。大変な状況の中、本当にありがとうございました。(Y)